mixiユーザー(id:48131024)

2021年07月19日10:07

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瞑想精進

無我とは喜捨である。
実体無い、空とは喜捨である。
捨てる事をためらうもの、よく不浄、受苦を思うべき。
そもそも、瞑想の技術的には、もう学ぶものはない。
ただ、気付けるかどうか、これくらいは等と、思わず捨てれるかどうか。
である。
最近は、身近な人の死を見る事が多くなる。
愛別離苦だ。だから、捨てようと思う。
特に家族は、心の深くにあるものだ。
そして、見つからぬ時は、基本の無常無我からするべきだ。
技術的には、もう学ぶものは無い。
気付けるかどうか、捨てる事に決められるかどうか。
だけだ。総てを捨てれば、見えないエネルギーに満たされる。
アランニャの行。執着なく清浄に、過ごす事が出来る。
空行だ。学んだ事を手放すべき、
価値観を手放すべき、感覚を手放すべき。
その方がはるかに、楽に生きられるのだ。
不思議なものである。
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