煩悩とは、初心には、認めたがらないものである。
ここには、道の修練がいる。
欲望とは、無くせないものである。
しかし、少欲知足のように制する事は出来る。
迷いとは、心の動き、妄想である。
よく鎮めて、道に向けねばならない。
生死とは、この一生である。全てから、要を取って、生死と言う。
苦とは、身体生活を運営する上で、生じる軋轢である。
様々なところにある。
悟りとは、微妙な気付きを言う。
また、苦の正因を看破するを言う。
菩提とは、知恵の深さを言う。
知恵とは、四念を明らかにするを言う。
密教とは、供養である。道と生活を確かにする。
道とは、深遠な根源に向かう瞑想の道程である。
迷惑とは、聡明ならず、外道を勧め、怒りや嫉妬をもたらすものを言う。
忍辱とは、徳目である。怒りを忍び、徳を養う。
涅槃とは、大題目である。仏教の基本の旗印である。
それは宇宙と等しい。
苦集滅道とは、一々の悟りを言う。
結局不可得にして、空に帰する故に。
涅槃と滅諦と、滅度は同義である。
寂静とも言う。
清浄とは、瞑想の深まりに付随する。
いつの間にかあるもので、得たものではない。
得ると失うは、因果である。
であれば、世界の全ては本来清浄である。
成仏も、因果のものではないと言われている。
一心出でて、涅槃となし、成仏と言う。
因果でなくあるもので、であれば、
世界衆生は、本来仏である。
涅槃は、一道大儀であるから、
何を学び実践しようと、この瞑想を堅持するなら、それは仏道である。
何十年経とうと、この大儀は失われない。
一生、通ずる道義である。
涅槃と瞑想があれば良い。
これのみである。他は、傍道とも言える。
また傍道であろうと、涅槃があるなら、それは正真の仏道である。
瞑想は道であり、道は瞑想であるから。
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