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2021年06月03日21:06

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甚深般若

罪を感じた。懺悔していた。
これによって、深い瞑想が出来ると思った。
因果は粗悪である。故に賢聖の道がある。
自我を取り巻く者は、終に苦しみに到る。
四苦八苦ある。
その本を辿ろうにも、例えば欲望等としても、答えにはならない。
老いや死はどうにもならない。
世界観があるのみ。
畢竟解脱は無い。答えは、諸の執着無き。
逃げる事は適わない。去る事は出来る。
解脱は知見。外であろうと、頭であろうと。
なぜなら自我を挟まず思惟できるから。
因果は粗悪である。
考えるも、本を辿れど、因と縁。
業は不生である。悟りの因はあれど、果は無し。
因果であれば悟りに非ず。
因、手放す。
空は、始めなく終わり無し。
始めも終わりも、頭が造る。
また、自我は形霊が成す。
オートで、人を形成する。
思うは、苦なり。
これらは、賢聖の知見。
解脱の知見である。
よく考え、自我を去るべきである。
その瞑想こそ、三昧であろう。
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