お祭というのは本来「神霊」に対して感謝を捧げるための行事だったはずです。もっと静かで厳かなものだったと思います。人々が熱狂して我を忘れて浮かれ騒ぐものを「お祭」と呼ぶべきではないかと私は勝手に思っています。そういう状態の中には神仏や目に見えないものに対する崇拝の念が全く欠けているように思うのです。もちろんそんなことは無い、地域の行事として行うことに意義があるということもわかりますが・・・。
オリンピックにしても言うなれば国際的な「お祭」です。アスリートの方達は大きな発表の場でもあり表現したい、認められたいと思われているでしょうから大切なイベントだとは思うのですが、今のこの状況で開催することに意味があるのでしょうか?神霊はこのお祭を認めてくださるのでしょうか?私は甚だ疑問だと思っています。
前回の東京オリンピックは意義のあるものでした。戦後復興のシンボルとして神霊に捧げる人々の大いなる意思というものが発現していたとも思います。
今回のオリンピックには商業的な「欲」しか視えません。祭りの本質からは遠く離れていると私は思います。次々と不祥事が起きるのはその証だと私は感じています。アスリートの方達のために小さな分散型のスモールオリンピックを各地で時間軸もずらして開催すればどうでしょうか?各地の土地神様も含めて寿ぐ形にすれば祭りの意義も見出せるように思います。
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