欠陥があるから、うまく生きられない。
見ろ、仕事もできないではないか。
そういうダメ人間だ。
このように言う声を聞く。
一体お前は誰だ?
なぜ私がそうだと知るのだ?
私は自分に欠陥を見出さない。
社会性とも考えるが、人間関係は、悩めど、それなりになる。
仕事ができないのは、それより優先した事があるのだ。
仏教だ。
私は自分を原石のように、注意深く研磨した。
良いところ悪いところ、注意深く研磨した。
壊れている訳ではなかった。
欠陥ではない。私は私を知る。
では、自分はどうなのだ?
欠陥がないのか?あるのか?
仕事はきちんとできるのか?
勝れた人間なのか?
人を欠陥扱いするのが、勝れた人間とは思えないが・・・。
仕事をするのが、勝れた人間で、仕事をしないのが、ダメ人間なのか?
仕事をしない勝れた人間はおらず、仕事をするダメ人間はいないのか?
ダメ人間とは、何を基準に言う。
勝れた人間とは何を基準に言う。
自分の言う事に責任を持ってほしい。
もし、それが真実でないとしたら?
どう責任をとるのだ?
普通は、ダメ人間ではありません、すいませんでした。
という話になる。
過ちを認め、謝罪するのが、社会性だ。
しかし、私は謝罪を求めない。
このままずっと、完全無欠の優れた人間であってほしい。
私は、その言葉を聞かなかったのだから。
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