それは、ただのヌードグラビア雑誌だった。しかも、写真は日本のモノでもなかった。長い時間をかけて河原を歩いては、子供時代の筆者たちは、そうした雑誌を拾っていたのだ。たいていは雨露でページも開かないのだが、中には、新品同然のままに捨てられている物もあった。その日、筆者が拾ったのも、そんな雑誌だった。雑誌というより書籍に近い物だったかもしれない。小さなサイズで右ページに外人女性のヌードが掲載されていて、左ページには日本語で文章が掲載されていた。右ページの写真はヌードだが、決して過激なものではなかった。
「それ、綺麗だから持って帰るのか」
一緒にいた友達の一人が言った。綺麗というのは写真の女性のことではない。本自体が綺麗だから、と、そうした意味だった。子供にとっては、その程度の価値しかない本だったのだ。
筆者が魅了されたのは、しかし、別なところにあった。
左ページには文章があったのだが、その他に一枚だけ小さな写真があったのだ。その写真は撮影現場の写真だった。カメラマンが写っているのだ。カメラマンは小太りの中年の白人男性だった。面白いのは、どの写真に写っているものも上半身にシャツ一枚だったことなのだ。もちろん、日本で出版された物なので、下半身には黒の墨が入れてある。中には、男の裸のお尻とその向こうでポーズをとるモデルの顔とか、メイクされているモデルの横でおそらく興奮したままのそれを突き出しているものもあった。
河原では落ち着いて日本語を読めない。そもそも、小学生だった筆者には、たかがエロ雑誌の日本語さえ難しかったりしたのだ。内容を知るためには、持ち帰るしかなかったのだ。
持ち帰り、漢和辞典を片手に読んだ。
しかし、漢和辞典では調べられないカタカナ語なども多くあった。たとえば「エレクチョン」などと書かれているのは、よく分からなかった。日本語で難しいのは「菊座」などだった。
それでも、好きこそ、と、その勢いだけで読んでいると、さらに興味深いことが分かったのだ。それは、左ページは超短編小説になっていたのだ。しかも、それは下半身裸の状態で女を撮り続けたカメラマンの半生を語るドキュメント小説だったのだ。もちろん、そうした作りのジョーク雑誌だったかもしれない。あの頃はそうしたモノも少なくなかった。
雑誌の後半には、カメラマンのモノについてのモデルの女性たちの感想が掲載されていた。細やかな気遣いだと当時の筆者は思ったものだ。
そんなユニークな雑誌、いや、小説、そうしたモノがインターネット時代に増えるかと筆者は期待していたのだが、どうしてなのだろうか、インターネット時代のほうがエロは平凡なモノばかりになってしまったのだ。
奇妙奇天烈奇々怪々のアイディアエロはどこに行ってしまったのだろうか。
遠い記憶の底に沈み、そうしたエロ小説は二度と読むことが出来ないのだろうか。遠い記憶のエロ小説、なんとか蘇らせる方法はないものだろうか。
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