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2019年04月26日16:45

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悟りの道の先

心がどこにいるか?
それが分かったとき、怒りの己がいた。
それを解放していく中で、
悟りを与えられただろうか?悟りを得た者は?
そんな自分がいた。
更に与えたいと思えども、何を与えられるか?
中に向かうだけでも、薬効はある。
それで、自分の総てを与えても良いと思った。
私が持つのは、仏行慈悲、大乗方便、克魔解脱。
釈迦は仏身であり、菩薩乗を与えた。
諸仏の加護で、達成するとも。
仏行慈悲は、聞く者あり、瞑想して与える。
大乗方便は、きっかけを説示する。また流れを大まかに説示する。
心を言葉にする。少しコツがあるが、できれば何でもないのである。
克魔解脱は、自我や信条の執着性を自覚する。
また聖性を解き放つ。これは瞑想の最奥の時機であり、
菩提樹の釈迦のよう。
これならば、皆が歓喜するだろう。
仏行の中で、得るのだが、それに費やせば、自然行き着くのである。
また、釈迦と同機とすれば、これほどのものは無い。
他にも、密教や、ヨガなどもあるだろう。
菩薩乗は言うまでもなく。
菩薩乗は仏行でもあるが、所属は法華経である。
金剛般若に、相虚妄があるが、これも通る。
密教では、仏行を果たすのに必要な契が幾つかある。
それは、諸仏の導きを信じるしかない。
しかし、慈悲を持つのは、背をしゃんとさせる。
とても良いことだ。
私はそれをあげたい。
諸仏の導きがありますように。
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