心がどこにいるか?
それが分かったとき、怒りの己がいた。
それを解放していく中で、
悟りを与えられただろうか?悟りを得た者は?
そんな自分がいた。
更に与えたいと思えども、何を与えられるか?
中に向かうだけでも、薬効はある。
それで、自分の総てを与えても良いと思った。
私が持つのは、仏行慈悲、大乗方便、克魔解脱。
釈迦は仏身であり、菩薩乗を与えた。
諸仏の加護で、達成するとも。
仏行慈悲は、聞く者あり、瞑想して与える。
大乗方便は、きっかけを説示する。また流れを大まかに説示する。
心を言葉にする。少しコツがあるが、できれば何でもないのである。
克魔解脱は、自我や信条の執着性を自覚する。
また聖性を解き放つ。これは瞑想の最奥の時機であり、
菩提樹の釈迦のよう。
これならば、皆が歓喜するだろう。
仏行の中で、得るのだが、それに費やせば、自然行き着くのである。
また、釈迦と同機とすれば、これほどのものは無い。
他にも、密教や、ヨガなどもあるだろう。
菩薩乗は言うまでもなく。
菩薩乗は仏行でもあるが、所属は法華経である。
金剛般若に、相虚妄があるが、これも通る。
密教では、仏行を果たすのに必要な契が幾つかある。
それは、諸仏の導きを信じるしかない。
しかし、慈悲を持つのは、背をしゃんとさせる。
とても良いことだ。
私はそれをあげたい。
諸仏の導きがありますように。
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