仏教と言えば、
無常無我である。
しかしこれは、出世間の見方。
俗諦真諦とある。真諦である。
お釈迦さまは、実は真諦の悟りではないのである。
無常無我は、世間の常我から、反省した見方である。
しかし、やってみると分かるが、我は明らかにはならない。
無我はいわば苦行の真実だ。
しかし到らないのである。
本当の悟りは中道八正道にある。
なぜなら、人間は苦が多いからである。
サンギャは世間から離れるが隔絶してはいない。
本当の真理は到れない。
それ程に奥が深いのだ。
何千年と学業が積み重なって今がある。
世界や人間はそのようなものなのだ。
しかし、何も得るものがないわけではない。
例えば、人は燃えている。執着に盛んに燃えている。
そして苦しんでいるのである。
また、実体がない。つまり空である。
これは真実だ。
しかし、不空もある。
あるが意味がない。
学業が発展すれば、生成され得る。
といったところで、常識は、空で良いのである。
また、三帰五戒を挙げる。
これも大事な教えである。
護れば、苦しみや不浄を避けえるのであるし、
清浄にもなりえる。
本当の仏教とはそういうものである。
涅槃ばかりではないのである。
これを真俗不二の道と言う。
世間は苦しい。しかし、出家では到り得ないのである。
世の不思議生命の不思議は、そのようなものなのである。
無我と分かった気になるな。
中道にて、ようやく分かりえるものである。
あくまで、一方の悟りであるとわきまえるべきである。
それを仏道と言うのだ。
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