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2018年12月19日19:30

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真仏教

仏教と言えば、
無常無我である。
しかしこれは、出世間の見方。
俗諦真諦とある。真諦である。
お釈迦さまは、実は真諦の悟りではないのである。
無常無我は、世間の常我から、反省した見方である。
しかし、やってみると分かるが、我は明らかにはならない。
無我はいわば苦行の真実だ。
しかし到らないのである。
本当の悟りは中道八正道にある。
なぜなら、人間は苦が多いからである。
サンギャは世間から離れるが隔絶してはいない。
本当の真理は到れない。
それ程に奥が深いのだ。
何千年と学業が積み重なって今がある。
世界や人間はそのようなものなのだ。
しかし、何も得るものがないわけではない。
例えば、人は燃えている。執着に盛んに燃えている。
そして苦しんでいるのである。
また、実体がない。つまり空である。
これは真実だ。
しかし、不空もある。
あるが意味がない。
学業が発展すれば、生成され得る。
といったところで、常識は、空で良いのである。
また、三帰五戒を挙げる。
これも大事な教えである。
護れば、苦しみや不浄を避けえるのであるし、
清浄にもなりえる。
本当の仏教とはそういうものである。
涅槃ばかりではないのである。
これを真俗不二の道と言う。
世間は苦しい。しかし、出家では到り得ないのである。
世の不思議生命の不思議は、そのようなものなのである。
無我と分かった気になるな。
中道にて、ようやく分かりえるものである。
あくまで、一方の悟りであるとわきまえるべきである。
それを仏道と言うのだ。
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