「氣」というものの扱いはとても難しいです。私はスクールをしていますが、「氣」については完璧に教えられる自信など全くありません。
私自身が氣を扱えるようになったのは、全くの偶然によるもののようなものです。それまでの技法に飽き足らず、動禅指圧を永井先生に習い、その過程で手を無にすることを学び、次にタオ指圧を遠藤先生に習い、その過程で心のコントロールや経絡に心の手で触れることを学び、そういう段階をゆっくりと過ごしていくうちにいつの間にか「氣」に触れることができるようになっていきました。
それは求めて得るものではなくて、自然と身に着いたものなのです。何かに導かれたのかなと後になっては思いますが、その時には「氣」というものに自分が手が届くなどとは夢にも思っていなかったことでした。自分で言うのは恥ずかしいのですが、真摯にお客様の身体を癒したいと思い続けていくうちにそこにたどり着いたというのが本当の所です。
外気功という氣を発して人の身体を癒す技法があります。これは体質的に「氣」を外に発することができる人でなくては扱えないと私は考えています。またこの外気功というものは生命力の消費と人格の僅かですが破壊というものが伴うので、よっぽど武術などで心と身体を鍛えた人でないと身体も心も壊していくのではないかと私は考えています。高圧の放水銃を扱う消防士のような体力と精神力と技術が必要なことだと考えています。
氣の経絡指圧では自己の精神のコントロールがとても難しいです。遠藤先生は突き詰めて行ってついには僧侶としての修行生活に入ってしまわれて指導の道から外れてしまわれました。今は奥様とお弟子さんたちが指導されているようです。
私自身も氣を扱うには心に空を造ったり、金銭欲や名誉欲などといったものを排除することは当たり前で「治したい」という欲さえも排除していくように努めている毎日です。
氣は自然と一体になる道つまりタオを常に指し示しているものです。人から教わるものではなくて自ら導かれて届くもののように思います。
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