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2018年01月27日08:54

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追悼、片平晋作氏

 先日、元西武ライオンズの片平晋作氏が所沢の自宅で亡くなった。
 ライオンズ時代の片平といえば、ぼくの脳裏に焼きついた二本のバントがある。

 一本目について、海老沢泰久はエッセイでこう書いている。
「昭和57年5月18日。この日こそ、ライオンズがそれまでのライオンズとはまったくちがったチームに変身したことを最初に示した記念すべき日といわなければならない」
 当時浪人生だったぼくはその試合をテレビ埼玉で見ていたが、まさに海老沢さんのいったとおりだった。
 その時点でライオンズは首位を走っていたが、2位に2ゲーム、3位に⒉5ゲーム差をつけただけの際どい首位だった。そしてその日に所沢に迎える相手は2位のファイターズだった。
 試合は5回までファイターズが3対0でリードし、敗戦ムードは動かし難かった。しかし5回裏にソロホームラン3本で一気に追いついた(ぼくは、3本のうち1本でもソロじゃなかったら逆転だったのにと大きく落胆したことを覚えている)。
 そして8回裏、1死満塁で片平がバッターボックスに入る。マウンドには絶対的エースの江夏。ぼくはどうなるのかとハラハラドキドキしていた。勝負の行方を決めるその場面、なんと片平は初球で決勝の満塁スクイズを決めた。ライオンズベンチの喜びは爆発し、テレビ画面には片平が満面の笑みで踊るようにベンチに帰っていく姿が映し出された。ぼくの興奮も頂点に達した。

 二本目は昭和57年10月9日、前期優勝のライオンズと後期優勝のファイターズによるプレーオフ第1戦。
 0対0で迎えた8回裏、無死1塁でバッター片平。マウンドにはまたしても江夏。ライオンズは絶対にランナーを2塁に送りたいし、反対にファイターズは送らせたくない場面。ファイターズが極端なバントシフトを敷いてくるのは確実で、じっさい投球と同時に江夏とサードの古谷がダッシュしてきた。
 そのしびれる状況のなか、片平は江夏と古谷のあいだを抜けるプッシュバントを決める。江夏と古谷は呆然と立ちすくむしかなかった。ボールがはずんだ地点は、ライオンズの監督広岡が「ここにバントしろ」と白いテープで印をつけて選手全員に練習させた、まさにその場所だった。
 この機をものにして、ライオンズはこの試合どころかプレーオフの行方すら決定づける6点をもぎ取るのだが、それを可能にしたのが片平のバントだったのは明らかだった。
「最高や。あんなバントはもう一度やれといわれても、とてもできんよ」
 試合のあとで、片平はそういった。

 享年六十八歳。深く冥福を祈る。
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