県内のあるお寺の坊守の方ですが、心身ともに変調を来たしていて当院の常連さんの方が連れてこられました。
視てみると何度も神仏を招いて「助けてくれ」としておきながら、神仏がこられると「何故来た、お前らに用はない」と追い返すというようなことを何度も繰り返していました。人格に二重性があり、そういうことの繰り返しによって精神が破たんしてしまっているようでした。
ご住職が立派な方らしく常連さんもそのご住職のために何とかして差し上げたいと尽力されているようでしたが、ご本人にはもはや自分を救ってほしいという気持ちも無くなっていて、こうなってしまっては誰も救えるものではありません。
これはいつも思うことですが、自分から助けてほしいと願っている人でなければ他者がその人を救うことなどできるものではありません。心の本質に浄化や進展わ望むものがなければ他者の教導や助言は心に届かないものです。
神仏にすがるというのは相当究極的に追い詰められている状態なのですが、そういうときに助けに来た方達を拒否するというのは、もしかしたら自分自身に対して「甘え」のようなものがあったということなのかもしれないなぁとも思ってしまいます。
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