五木寛之さんの親鸞という作品が完結して文庫化されたので最初から読み始めています。
昨日読んだ箇所に書かれていて感銘を受けた個所。南無阿弥陀仏と念仏を唱えるのは御仏が私達に呼び掛けていて「はい。」と答えているのだということ。
「はい」「はい」「はい」、「南無阿弥陀仏」「南無阿弥陀仏」南無阿弥陀仏」御仏はどんな人に対しても救ってあげたいとお声をかけてくださっている。それに応える自らの心の声が南無阿弥陀仏という念仏になるという。
どんな悪人でもどんなダメな人間でも分け隔てなく御仏は声をかけ見守ってくださっている。心の中から南無阿弥陀仏という言葉が生まれてくるのは、その御仏の呼びかけが届いている証拠だという。何という単純明快な教えであることか。
浄土真宗が深く根付いた北陸の土地に生まれ育ち、周囲にいつも南無阿弥陀仏という念仏がある世界に囲まれてきました。それゆえに守られているという思いが常に自らの心の中にあったように思います。宗教をありがたいことだと思うことはありませんが、空気のように目には見えず普段は気づかないけれど、きっと大切なものとしていつもあるものなのだろうと思います。
親鸞さんや蓮如さん、そういうお名前がいつも身近にあった日々をありがたく思います。
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