mixiユーザー(id:4264385)

2016年05月06日06:51

389 view

老いと死

 中村 元さんという仏教学者の方の「老いと死を語る」という本を読んでいます。母の日の贈り物として母に贈ろうと思い購入しました。

 わかりやすく書いてあるだろうと思って読んでみたのですが、なかなか難しくてよくわかりません。仏陀でさえも老いや死についてははっきりとした説明をせぬままに亡くなられているような感じがします。無常ということや輪廻ということが矛盾した意味を持つこともあるのだということが何となくわかったような感じです。

 中道という思想があります。ウィキペディアによると
中道(ちゅうどう、梵: Madhyamā-mārga, マディヤマー・マールガ、梵: Madhyamā-pratipad, マディヤマー・プラティパッド、巴: Majjhimā-paṭipadā, マッジマー・パティパダー)とは、仏教用語で、相互に対立し矛盾する2つの極端な概念・姿勢に偏らない実践(仏道修行)や認識のあり方をいう。

苦・楽のふたつを「ニ受」(にじゅ)といい、魂(アートマン)や様々な存在物について恒常的に「有る」(「常見」→依存・安住・固執・堕落)とか、ただ単純に消えてなくなるだけで「無い」(「断見」→虚無主義(ニヒリズム)・荒廃)という見解を「二辺」(にへん)というが、そのどちらにも囚われない、偏らない立場を中道という。

(なお、有無の「二辺」を避けるために仏教が提示する発想こそが、「縁起」である。あらゆる存在物はそのままの状態として存在し続けることはないが、改変・連鎖を繰り返しながら存在し続ける(輪廻)、したがって良き連鎖を形成・持続できるよう努力し続けよ(そして最終的には修行を完成させて涅槃に到達し、解脱せよ)、というのが仏教の姿勢である。)

 というようなことらしいのですが、とりあえずは「中道」を歩むように努力することが人としてはできる限りの最小限の道なのかもしれません。

 私は氣視によって「氣」という生命エネルギーの大河があることを実感しました。そこにすべての生命が還っていくのが真理であるとするなら、それを信じて何事にも心を囚われぬようにして生きていくべきなのかなと思っています。
0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2016年05月>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    

最近の日記

もっと見る