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2015年06月09日12:56

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電子書籍ビジネスの一歩(05)

 筆者はどこかで読み手を信じ続けている。これは若い頃にエロ業界に入って来た、あのはじめてのマニア雑誌を作ったときから、少しも変わっていない。あの頃も、今も、同じように読み手を信じているのだ。本の読み手はお客さんではない、と、そう信じているのだ。
 いや、本当は、日本人というものは、もともと、お客さんになるような民族性ではないのだ、と、筆者はそう信じているのだ。日本人の基本は分業だと考えているのだ。一緒に作り、一緒に消費するのが日本人なのだ、と。
 だから家の修繕に来た大工さんにお茶を出していたのだ。お茶を出すことで大工さんの仕事を少し手伝っていたのだ。お茶を出すぐらいしか出来ないが、一緒に修繕していたのだ。大工さんと一緒に釘を打ったりはしない。しかし、大工さんに任せきりにもしない。自分にはお茶を出すぐらいしか手伝えることがないが手伝わせてください、と、そんな謙虚さが日本人にはあったのだ。いや、今だって、そうした気質はきっと残っているはずなのだ。
 お金を出せば、お客さま。お客さまは、ふんぞり返って口だけ出す、と、そんなことをしないのが日本人なのだ。お金を出すのも手伝いの一つ、と、そう考えるのが日本人なのだ。
 もっとも、この気質が日本以外の国の人にないものなのかどうかは筆者は知らない。ただ、日本人のそんな気質を筆者は信じているのだ。
 しかし、紙の本では、そこが上手くいかなかった。情報は常に一方的だった。買ってくれるお客さま。広告をくれるお客さま。お客さまは作る物には手を出さない。しかし、お客様なので口は出していい。そんなところが紙の本にはあった。そして、お客さまと考える、その一方に、嫌なら買うな、と、そうした横柄さが作り手にはあったのだ。作家はとくにそうだった。先生などと煽てられるものだから、余計にそうなった。そうかと思えば、お客さまとばかり媚びる。どちらも筆者は嫌だった。
 一緒に育てたい。一緒に作りたい。
 そう、それは神輿なのだ。担ぐ人も横を一緒に歩く人も仲間なのだ。だから、神輿は見ているだけの人も声を出すべきだし、見ているだけの人も身体を揺するべきなのだ。観客などいないのが神輿なのだ。一緒に声を出し、一緒に歩く。
 筆者は電子書籍は、あの祭の楽しさを出版に取り戻すものになるのではないかと考えている。そして、信じているのだ。神輿ならば、一緒に担ごうじゃないかと言う読み手が出て来てくれることを。
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