最近はゴダールパゾリーニと観ているせいか、ただのアスファルトの道が石畳の路に見えてきたり、カフェで美女がジャケット肩にかけ足組んでノート書いている姿がパリジェンヌに見えてきたり、ドリンクバーのファミレスがモンマルトルのカフェに見えてきたり、、これでは『乙女の祈り』のケイト・ウィンスレットなみのパラノイア重傷症候群である。そんなわたくし I.K/Uであるから、ヨーロッパ映画嗜好に乗じて、最近はとりあえずパルムドール作品を観ている。
子供時代、大人になったら感受性が失われていくのかなと思ったことがあるのだけれど、『アデル、ブルーは熱い色』観たときそうなっていた自身に気付きがっかりした。主人公の気持ちに入っていなかったワタシはそうした私なのであった。ストラクチャー的にはビックリすることなかったアデルであるが、『パリ20区、僕たちのクラス』はけっこうビックラしただよ。なんだったんあれ、と思って、日本語版の予告みると、ショーンペン(彼は審査員していた)の言葉があって、”挑発”とあったけれど、なるほど、これは忘れていた大事なことだなと思う。ゴダールもパゾリーニも見慣れてしまい、それを見落としがちになっていたけれど、彼らにはきっとそれがある。
『ピアニスト』も『隠された記憶』もひまひとつピンとこなかったけれど、こんど『愛、アムール』を、或いは、かなりピンときた『ロゼッタ』であるが、『ある子供』を観てみよう。なんか感じるかもしれない。
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