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2015年01月07日00:27

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鉄学クエスト〜第五章・回生ブレーキの歴史1


  皆様、お待たせ様でした。鉄学クエストのお時間で御座います。
鉄道に関する小ネタを、ロールプレイングゲーム風に仕立てたスレッドで面白く読んでいただけるよう、私なりの工夫を繰り出したりするところです。今回は、「回生ブレーキの歴史」がテーマです。

〜鉄学を極めんとする女戦士・レーナとその祖父で大賢者のケンローは、更なる知識探求の旅を続けていたのだった…

レーナ「さーてと、次の町までもうしばらくかな…」
ケンロー「そうじゃのぅ、次の街についてじゃが、小さな樹海の中にあるとも聞くが…」
レーナ「…って、やだー。テツモンが出てきたー」
テツモン「ワテを倒すんやったら、この鉄問に答えてみるんやな!日本国内で最初に、平坦線向け回生ブレーキが導入されたJRの路線はどこや?」
レーナ「えーっ、JRの路線で…ったって、わかんないよー」
ケンロー「聞いた話によると、その路線は関西の路線となっており、戦前は独立した地方民鉄じゃったとあるがな…」
レーナ「それでそれで?」
ケンロー「あ、そうじゃった。確か、大手民鉄の南海電鉄と並行しており、客取り合戦を展開し、『韋駄天のモヨ』なる伝説の車両を保有していたとあるが…」
レーナ「『韋駄天のモヨ』あ、聞いたことがあるそれ。わかったわ。JRの路線で最初に平坦線向け回生ブレーキが導入された路線は、阪和線!!」

カッキーーン

テツモン「くっそぉ…、正解や…」
ボーーン テツモンを倒した

レーナ「やったーテツモンを倒せたわ」
ケンロー「ほれ、宝箱が落ちとるぞよ。中身を確認して見るのじゃ」
レーナ「えーっと、あ、『阪和線の書』ですって」

〜西日本旅客鉄道阪和線。1929年に開業した関西の路線で、元々は「阪和電気鉄道」という地方民鉄として開業した。のちに南海電鉄の路線となり、更にその後はJRグループの前身たる国鉄へと移管された。地方民鉄としては鉄道技術がかなりの高水準であり、1935年の7月には史上初となる平坦線向け回生ブレーキ車が導入された。導入の理由は、高速運転による車輪やブレーキシューの摩耗を防ぐためだったわけであーる〜

レーナ「あ、やっと森の中の都市が見えてきたわ。あそこで一度、泊まってこー」
ケンロー「そうじゃのぅ、この辺で一休みも一興じゃろうて」


  ここで補足です。阪和電鉄の回生ブレーキ車ですが、モタ325・326・327の三両が該当しており、電気品が東洋電機製となっております。モーターの種別は、古くから主流となっている直流直巻電動機であり、直巻電動機による回生ブレーキシステムの導入としてもこれが恐らく史上初と言えるものがあります。ブレーキの掛け方ですが、回生ブレーキはマスコンで操作することとなっており、機械ブレーキとは別個扱いとなっていました。このため、ブレーキ操作についても熟練を要するほどに難しかったそうです。

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