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2014年02月10日18:38

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882 国鉄救援車 貨車

写真1はワキ700形ワキ701、1966/5/28 国鉄吹田第一機関区。車体の表記は「大」(=大阪鉄道管理局)、吹田第一機関区救援車代用、吹田(操)駅常備。写真2はワキ702、1969/9/20 国鉄若松機関区。写真3はワキ729、1969/10月 国鉄神戸港貨物駅。

1943年に日本海軍は工廠から基地へ航空魚雷や航空爆弾を輸送する為に私有の30トン積2軸ボギー有蓋車ワキ700形を30輌製造しました。写真3のワキ729で見られるように、なぜか高速運転(85km/h)が可能なTR-24形鋳鋼製台車を装備していました。
積荷の九一式航空魚雷は全長5.5m、重量1tもある重量物で、荷役の為に幅3.5mの外吊式両引戸とホイストが設けられていました。所有者名(大日本帝国海軍)の車体標記は防諜のため省略でした。
1944年には、特攻兵器である人間魚雷「回天」の為に6輌が屋根に搬入口を開けるという改造を受けたようです。戦争中に4輌が失われています。
1945年の敗戦に伴い大蔵省に移管、高速台車を活かして荷物車代用(一部に車内照明と貫通扉が設置されました)として活躍しました。2輌は連合軍専用客車として接収され衛生車NILESと酒保車LITTLE FALLSとなり、明るい茶色の車体に白帯を巻いて連合軍専用列車で運用されました。
1952年に配給車代用として使用されていた無蓋貨車トキ10形を配給電車クヤ7形(後のクヤ9210形→クル9210形)に改造する為に、トキ10形の低速アーチバー型台車TR-20(65km/h)とワキ700形TR-24を5輌分交換することになりました。写真1と2の台車はこれに該当します。
1958年に国鉄所管となりました。
このようにワキ700形は波乱万丈の生涯を送りました。
1977年に形式消滅しております。

追加の写真と記事は http://satoyama.in/auto/sharyo/auto921.html をご覧下さい。
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