ポーランド映画祭2013
これも新旧ズラズラと並んだラインナップからわずか3本のみの鑑賞。
うち2本は新作なので、やはり会場は込んでいた。
(旧作一つも国内未ソフト化なので、それなりでしたが…。)
『イーダ』(2013年)
幼いころから修道院で育てられ、自分には身寄りがないと思っていた尼僧アンナはおばの存在を知り、修道女の道に入る前に再会を果たす。
しかし、その再会は思いもしない事実を掘り起こしてしまう。
本名はイーダでユダヤ人であると…。
自身の出自やルーツ探しが中心ではあるが、むしろ辛い思いを呼び起こすのはおばの方。
彼女はきちんとした職業についていたにもかかわらず、ずっと酒びたりで尻軽な生き方をしていて敬虔な暮らししか知らないアンナから見ると驚くことばかり。しかし、そこには知られざる過去があった。
運命を悟ったかのように、おばがアンナことイーダを先祖の墓参りに連れ出すところから二人の関係は変わってゆく。
ルーツ探しのロードムービーとしての演出があたかも「巡礼の旅」にも思える。
イーダが旅先の様々な人生経験をして成長する物語だが、これが<
巡礼の旅>ならイーダが最後に向かう先は“必然”なのだろう。
スタンダード、モノクロ映画というスタイルで、美しいライティングやカメラアングルなども奇をてらうことなくしっかりしたつくり。
演技経験のない女優をヒロインに仕立てているが、うぶな<修道女見習い>という役柄とあっている。
『砂時計』(1973年)
ブルーノ・シュルツの短編集『砂時計のサナトリウム』から表題作を中心に他の作品を混ぜて再構成された映画化作品ということ。
古ぼけた列車で、父の入院するサナトリウムに青年が降り立つ。
しかし、出迎えた色情狂の看護師や蜘蛛の巣だらけの食堂など、どう見ても<まともな療養所>には見えない。
原作者のブルーノ・シュルツはポーランド出身のユダヤ系作家で、本国では<
ポーランドのカフカ>とも呼ばれていたそうで、そう聞くと「ああ、なるほど」と思う。
ともかく奇妙奇天烈、摩訶不思議な光景の連続で、広角レンズを多用した撮影や不気味な音楽も相乗効果を上げている。
作品全てが暗喩に満ちたつくりなので、作者がユダヤ人で居住を転々とした経緯や当時のポーランドの社会背景などに理解が浅いと分かりにくいかも知れない。
時間も空間も入り乱れるシュールなタッチの映画で場面転換の<どこでもドア>となるのがベッドやテーブルの下だったりするが、ナチスの手から逃れてよく隠れた場所だったのだろうか。
「ここから別の場所にテレポートできたら…」
丸っきりの推測だが、そんな思いが案外ヒントなのかも。
観念的で一筋縄では理解しにくいが幻想的美しさはどこか脳裏に残る…。
(カンヌ映画祭審査員賞受賞)
『ライフ・フィールズ・グッド』(2013年)
これは分かりやすくて助かった。(笑)
実話ベースのいわゆる難病・障がい者ものであるが、コミュニケーションの大切さと諦めない心、間違った先入観を問うのは普遍性がある。
主人公マテウシュは生まれつき脳性小児麻痺で体の自由が利かない。
まるでコミュニケーションが取れないことから
母親や兄弟は<植物人間>扱い。
問題なのは
<体の自由が利かないこと>はイコール頭も同じだと言うことではない。
本人には自我も思春期の目覚めもキチンとあるのに、大半の者は先入観を持っていて理解しようとしない。
また、その方法が分からないために<頑張った意思表示>を病気の悪化に帰結してしまう。
生き地獄といってもいい状態で暮らす時間はどれほど辛かったろう。
ともかく親が面倒を見られるうちはともかく、高齢になってからが問題。
施設の世話にならざるを得ないが、そこは仕事。
反論できないのをいいことにまともに人扱いをしているようには思えず、バリアを作っているのはどちらなのだとさえ思ってしまう。
理解者が表れたかと思いきや、単に利用されただけということも…。
だが、そんな絶望的な人生に光が差す…。
何事も諦めてはいけないということだろう。
そして、試されているのは我々だということ。
それがラストショットに表されているように思う。
マテウシュを演じるのはもちろん健常者の俳優だが、当人とも面会してかなり研究したのであろう。
動きが制限された中での演技は見るべきものがある。
ユーモラスな表現がことの深刻さを軽減させて間口を広げているように思う。
(モントリオール映画祭グランプリ・観客賞受賞)
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