mixiユーザー(id:11123951)

2013年11月27日17:44

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851 福知山線のD51

初期型のD51は重量が125.8tで最大軸重が15.0tもあり、亜幹線(当時の私の目には典型的な田舎のローカル線)の福知山線で運用するのは大丈夫だったのでしょうか。しかしD51形蒸気機関車は定格出力が1280psもあったので、非力な新鋭ディーゼル機関車DF50形の810psよりもはるかに頼りになったことでしょう。

写真1は1963年頃 福知山線生瀬〜武田尾間のトンネル。

写真2と3はD51の入換作業、1966/3/4福知山線川西池田駅ヤード。
遠くのプラットホームで短い貨物列車が白い蒸気を上げているのが見えます。右側のオート三輪(多分地元のダイハツ製)や小さな貨物上屋がローカル線の貨物駅のムードを醸し出しています。
機関車の次位に連結されているのは、北伊丹駅の近くで操業していたダイハツ工業の乗用車(ハイゼットとコンパーノ)を運搬する私有専用貨車シム2000形(後にクム2000形に改番)です。珍しくもない標準型のD51よりもこっちの貨車を撮っておくべきでした。
日が暮れてから白熱灯の照明が入り、腕木信号機の灯火も目立つようになっていました。当時のフィルム感度はASA100で、これほど暗いとシャッタースピードが1/15とか1/8に落ちてしまい、カメラブレは避けられませんでした。

追加の写真と記事は http://satoyama.in/auto/sharyo/auto891.html と http://satoyama.in/auto/sharyo/auto892.html をご覧下さい。
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