『ミス・ジーンズ・フィンランド』@
フィンランド映画祭
典型的な青春映画。
好きな女の子が<ミス・ジーンズ>に選出され有名になり、どんどん自分から離れてゆく。
高校生のヴァルデはなんとか彼女を見返したいと、好きなルー・リードやヴェルヴェット・アンダーグラウンドのようなロックで活躍を誓う…。
時代は’77年ということなのだが、劇中で取り上げられる有名アーティストのLPタイトルでそれとなく分かる。ちょうどハード・ロックやプログレッシヴ・ロックからパンクやグラムに移行していく時代。
彼らが目指すのはグラムロックで、ヴァルデはヴォーカルを担当するのだが、<ついでにベースも>兼任することになる。
何の楽器も出来ないヴァルデがバンド活動に踏み込めたのもこのタイミングならではだろう。
'70年代を知っている世代にはディープ・パープル、クイーン、デヴィッド・ボウイ、ルー・リードなど取り上げられるアーティストのウンチクに頷けることもあるのじゃないかな?
いかにも小国の田舎町といった風情だが、それがノスタルジックさの演出に役立っている。
皮肉なことには、彼が手にしたいと思っていたことは既に手中にあったということ…。
それに気がつかない不幸が甘酸っぱさを残す。
テレビや電話の普及が不十分ではなかったことや服装や髪型に懐かしさを覚える。
電話ボックスでチューニングするアイディアがユニーク。
また<愛する彼女をテーマにした曲>って、スローな曲かバラードにしがちだけど、アップテンポのシャウト系だったのが意外性があり面白い。
背伸びする主人公をよく表していると思うのは、芸術家肌の年上のお姉さまを狙ったり、ロッカーを気取ってカッコつけて嘘の人生遍歴を述べたりする痛さ。(笑)
取ってつけたような悲劇は演出過剰な気もするけど、隣人のおかっぱメガネの兄弟は中々よいキャラクターだった。
ところで、公式にも謝罪の弁がでていましたが、翻訳があちらの国で作られたらしく(それは想定内ですが)、担当者がいかにも素人なのが残念!!
一応、クレジットには日本人の名前がありましたが、日本の生活から離れている気がした。
本職の方が読んでいたら笑われるかもしれないですが、字幕翻訳の基本がまるでなっていない。
この映画祭は過去にも同じようなミスを犯しています。
まだ直らないというのが、運営サイドのお粗末さを感じさせる。
「一秒間に4文字」とかいう以前に字幕翻訳の常識から逸脱したことが多すぎ。
幸か不幸か私はその手の文に多少慣れているので(苦笑)対処は出来ましたが、直訳系で文字数超過の文章を追うのは辛いです。
「」や句読点は使わないのが原則で、句読点は使っていなかったけど、ビッシリ長文なので読みづらい。
読みやすくするために<、>の変わりはスペースを空けるとかしないとね…。
翻訳家の大家でいまや有名な戸田女史の超訳が物議をかもすこともシバシバなれど、感嘆詞とかの訳は案外難しいもの。
過去に「なるほど」と思わず頷いたのがあります。
『リアル・スティール』で、父が息子の諫言を聞かずに無茶な賭けをしてやり込められるシーン。
思わずヒュー・ジャックマンは「ワオ」といいます。
それの字幕に唸りました。(気になる人は探してください)
あと、戸田女史の手がけたもので、作品名は忘れましたが、ひと気のない薄暗い家におそるおそる入ろうとした人が声をかけます。
「ハロー…」「ハロー…」と二回。
これを「こんにちは」と書いたら素人です。(笑)
その作品では「あのう…」「誰か…」と訳していました。
言語は同じ言葉なのに字幕は違う言葉です。目からうろこでした。
翻訳するということはこういうことですね。
今回の映画『ミス・ジーンズ・フィンランド』の字幕ではさらに対話の箇所も同時併記されていて(海外のソフトではたまにあることですが)場合によっては会話のネタバレになってしまう恐れがある。
立て続けてセリフを言うシーンなら仕方ないとも思いますが、かなりインターバルがあるのに、次のセリフが画面に出ているのはさすがにしらけます。
「俺にやらせろ」そう思った人が私以外にいたとしても不思議じゃないです。
(いや、私に出来るスキルなどありはしないですが、それでも…)
ログインしてコメントを確認・投稿する