日曜の夕方、歌舞伎座の幕見に並んで、『棒しばり』一幕を観た。
八月納涼歌舞伎は三部制でそれぞれお芝居一幕、舞踊一幕の組み合わせだが、
一部に『鏡獅子』、三部に『棒しばり』が入っているのは、
松竹も監修しているという某TVドラマに関連してのことだろう。
でもまあ、ドラマの舞台場面はあまりにお粗末で意気消沈してしまう。
ちゃんとしたもので口直ししたいと思った次第。
もともと狂言のおおどかな笑いは大好きだし、松羽目ものは好み。
踊り巧者の三津五郎さんの次郎冠者、
安定技量の若手・勘九郎くんの太郎冠者で、
明るく祝祭気分にあふれて最高だった。
改めて観ると、両手の動きを封じられたうえでバランスを取り、
アクロバティックな振りをこなすのはすごいことだと実感。
その大変を大変と感じさせず、軽やかに魅了させてくれる。
幕見の外国人観光客らしきひとたちも、さかんに笑って楽しそうだった。
堪能しながらも、思いがけない感情に不意打ちされた。
勘九郎くんの太郎冠者を観ると、勘三郎さんが二重映しになってしまうのだ。
ことにさんざん飲んだあげくに戻ってきた主人に見つかって問い詰められ、
「あ、あたくしぁ〜存じません」と呂律が回らない感じで言う台詞など、
勘三郎さんの声で思い出して目頭があつくなってしまった。
もともとこういう狂言ベースのご機嫌さんな役はぴったりだったし、
こぼれんばかりの愛敬で客を楽しませてくれるひとだった。
三津五郎さんの次郎冠者で、どうして勘三郎さんがここにいないのかな。
勘九郎くんの成長は十分に分かりながらも、勘三郎さんの不在がこたえた。
あの楽しい陽気なひとを、この歌舞伎座で二度と見られない理不尽さ。
楽しみの底で、ほろ苦い思いが湧いた。
ところで私の席に近いところに並んでいた若い女の子二人は、
会話からすると某ドラマがきっかけで観る気になった主役ファンらしかった。
幕間の緞帳披露にも大喜びしてたのを見ると、明らかに歌舞伎座初体験。
これを機会に少しでも歌舞伎の良さが分かってくれると良いのだけれど。
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