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2013年04月13日23:01

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『セント=ヘレナ覚書』

いったん舞台を観てから、
ラス・カーズ著『セント=ヘレナ覚書』(潮出版)を読み返してみると、
こういう記述が舞台のつくりや台詞のもとになっているのかもしれない、
と思えるようなところが改めて目に留まる。
そういうあれこれをちょっと引用し、一口コメントを添えておく。

現在読んでいるのは、
両角義彦『セント・ヘレナ落日 ナポレオン遠島始末』(朝日選書)。
これもKさんのお勧めだけど、分かりやすくまとめてあって面白い。
観劇の合間はナポレオン関連書三昧!

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1816年4月1日(月曜日)〜2日(火曜日)
皇帝のアパルトマンは、本書に掲載の、
ロングウッドの邸の平面図にみられるように、
A,Bの二部屋からなっている。それぞれ縦十五ピエ(約4.9メートル)、
横十二ピエ(約3.9メートル)、高さ約七ピエ(約2.3メートル)。
床にはまことに粗悪な敷物が敷かれている。黄色の南京木綿の裂々が、
壁紙代わりに二部屋ともに張られている。
寝室Aには小さな野戦用ベッド a がみられ、そこに皇帝はお寝みになる。
長椅子(カナベ) b の上で彼は一日の大半の時を過ごされる。
それは本でいっぱいで、本はその長椅子の使用を彼と競っているかのようである。
その傍らに小さな一本脚の円卓 c があり、室内におられるときには
そこで彼は食事され、あるいは夕食をおとりになる。
晩には、その円卓には大ぶりの笠のかかった三枝の燭台が置かれる。
二つの窓の間、戸と向かい合いに、たんす d があって、肌着類が収められ、
その上には彼の大事な生活必需品が置かれている。
たいへん小さな鏡を支えている暖炉 e には、数点の絵がみられる。
…(中略)…
皇帝は、暖炉のそばの窓枠と壁のつくる傾斜角のところで、ひげを当たられる。
彼の筆頭従僕が石鹸と剃刀を差し出す。
…(中略)…
皇帝はついで顔を、また非常にしばしば頭も、
銀製の大きな洗面器 f で洗われる、
この洗面器は部屋のすみにしつらえられていて、
もともとエリゼ宮から持ち運ばれたものである。ついで歯のお手入れ。
…(中略)…
ついで彼はオーデコロンをたっぷりふりかけられる、
それが自由にできていたかぎりは。
しかししばらくしてそれが尽き、島ではまるで見つからないという
ことになって、彼はラヴェンダー水にきりかえられなければならなかった。
…(後略)…
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感想)野戦ベッドとか、長椅子とか、舞台の簡素な大道具が目に浮かぶ。
円卓の上の三枝の燭台って、モントロンが手にするあれなのかな。
”銀製の大きな洗面器”は潮干狩りにも持って行ったやつなのかしら、
というふうに考えると、なんだかこういう記述にも親しみが湧いてくる。

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1816年4月17日(水曜日)
…(前略)…
話題は、それから、ハドソン・ロウ卿の見かけの特徴へと移った。
年齢はほぼ四十五歳と見受けられた。
背丈はふつう、やせこけていて、顔も髪も赤い、そばかすがあって、
斜めにした目でこっそりと見、ほとんど正面からは見ない、
その目に、燃えるようなブロンド色の、密なひどく突き出た眉がかぶさっている。
「ぞっとするな!」と皇帝は言われた、
「悪党づらだ。しかし即断はすまい。
陰気なご面相でも精神のほうで救われる、
そういうことはありえないではないからな」
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感想)徹底的にひどい言われよう!
ハドソン・ロウに良いところなどひとつもない感じ。
確かに頑なな人物だったらしいけれど、舞台の内野さんのロウを見ていると、
一方的に言われているのが気の毒になってくる。

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1816年4月30日(火曜日)
…(前略)…
なぜ、私を追放した帝王たちは、堂々と私に死を命じなかったのか!
追放も、死も、同様に法に適っていたはずだ!
またたく間の死のほうが、私に宣告された緩慢な死よりも、
彼らがより多くの力強さをもっていることを示したはずだ。
あのカラブリア人のほうが、君主たちや君らの大臣たちよりも、
ずっと人間的で、ずっと寛大だった!
私は自分の生命に終止符など打たぬ。
そんなことは臆病者のすることだと考える。
不幸を乗り越えるのが高貴で勇気あることなのだ!
この世では、誰もが、その運命を全うする義務がある!
しかし私をここに引き止めようというつもりなら、君らは私に、
まるで善行を施すように死を与えていることになるな。
なぜなら、ここに私がいることは、毎日死ぬことに変わりないからだ!
この島は私には小さすぎる、毎日、10里、15里、
いや20里も馬で駆けまわっていた私には。
天候は私たちの国の天候ではない。
私たちが知っている太陽でも、季節でもない。
ここにあるすべてのものが、死ぬほど退屈だ!
環境は不快で、健康に有害だ。
…(後略)…
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感想)憤懣やるかたないナポレオンの叫び。
これは天気って言わない、この太陽は知っている太陽じゃない、というのは、
痛切なんだけど、野田さんの台詞廻しだと笑ってしまう。
笑ってしまうんだけど、可哀想。

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1816年6月27日(木曜日)
われわれは朝食を取りそこねるところだった。
夜の間に炊事場の数ヶ所に抜け穴を掘ったねずみの闖入で、
すべてが持ち去られた。
われわれのところには文字どおり、ねずみがはびこっている。
それは巨大で、質の悪い、たいへん厚かましいやつだ。
これらのねずみは、あっという間に壁や床に穴を開けたのだ。
われわれの食事がつづく時間にもう、料理のそばに引きつけられ、
ねずみはサロンに侵入する。われわれはデザートのあとに、
ねずみに戦いを仕掛けねばならないことが一度ならずあった。
ある夜、自室に引き上げようとされていた皇帝に
帽子を渡そうとしたわれわれの一人が、
一匹のとてつもなく大きなねずみを、なかから飛び跳ねらせた。
われわれの馬蹄たちは、家禽を飼育したいと思っていたが、
ねずみがそれを全部むさぼり食ってしまったので、諦めねばならなかった。
やつらは夜、木にとまっている家禽を襲いさえしたのだ。
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感想)モントロンがねずみ退治のためにヒ素を求める背景には、
こんな深刻な被害があったんですねえ。ただの口実なんかじゃない。
ほとんどホラー映画なみのすさまじさで、ぞっとしてしまう。
とてもまともな環境とは言えない。ノイローゼになりそう。
そりゃヒ素でも何でも買うでしょう。

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1816年6月28日(金曜日)
総督が内大臣を訪れ、彼にロングウッドでの緊縮を漠然と予感させた。
…(中略)…
彼はさらに、彼の政府は皇帝に、
日々の食卓はせいぜい四人までのものしか与えるつもりはなかった、
招待客のある晩餐は週に一度しか許すつもりはなかったのだ、
などと言った…。なんと細かいことを!…
…(後略)…
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感想)ハドソン・ロウが、生活費が足りない、と言うモントロンに対し、
週に一度パーティを開くのなら、あとの6日間は水を飲んでればいい、
と皮肉るあたりの基か。
史実だと、いろいろとりしきっているのはベルトラン内大臣だけれど、
舞台上ではモントロンが側近としての責任を一身に背負っているんですね。

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