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2012年05月29日01:51

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朗読『宮沢賢治が伝えること』(段田安則×木村佳乃×山本耕史)

5月28日19:00〜 世田谷パブリックシアターにて鑑賞。
http://www.siscompany.com/kotoba/

<舞台装置・演出>
中央にテーブル、それを囲んで下手側、真ん中、上手側に椅子一脚ずつ。
テーブルと客席の間の舞台床に積み上げられた沢山の本。
舞台後方中央にマリンバ。縦長の青いバックスクリーン。

うす暗がりの中、上手袖から耕史くん、下手袖から段田さん、
上手奥から佳乃さんがゆっくりと現れ、
それぞれ上手、下手、真ん中の席に着席。手には黒い表紙の台本。
耕史くん、段田さんは白っぽいシャツに黒パンツ。
佳乃さんはシンプルな白ワンピース。

マリンバは朗読にやさしく寄り添う低音演奏から、
ポン、と注意喚起する柝(き)の役割をも果たす。
マリンバだけでなく、時にウインドチャイムのきらめくよう音も奏される。
スクリーンには順次作品名が映写される。
ソロで読む者は椅子から立ち上がり、スポットが当たる。
テーブルの上には各々ストロー付きのペットボトルがあり、
自分の番でない時には、自由にのどをうるおす。

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-==-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=
【文字映写】(大意)
1896年(明治29年)6月15日 
明治三陸大地震発生。大津波による死傷者二万二千人を越ゆ。
同年8月27日、岩手県稗貫郡里川口村に宮沢賢治生まれる。
  
・注文の多い料理店 序(全員)
わたしたちは、氷砂糖をほしいくらゐもたないでも、
きれいにすきとほった風をたべ、
桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。(耕史)

またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、
いちばんすばらしいびろうどや羅紗や、
宝石いりのきものに、かはってゐるのをたびたび見ました。
わたくしは、そういふきれいなたべものやきものをすきです。(佳乃)

これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道道路やらで、
虹や月あかりからもらってきたのです。(段田)
 ……(後略)…… 

・春と修羅 序(段田ソロ)
わたくしといふ現象は/仮定された有機交流電燈の/ひとつの青い照明です/
(あらゆる透明な幽霊の複合体)/
風景やみんなといつしよに/せはしくせはしく明滅しながら/
いかにもたしかにともりつづける/因果交流電燈の/ひとつの青い照明です/
 ……(後略)……

・林と思想(耕史ソロ)
そら ね ごらん/むかふに霧にぬれてゐる/
茸(きのこ)のかたちのちひさな林があるだらう/
あすこのとこへ/わたしのかんがへが/
ずゐぶんはやく流れて行つて/みんな/溶け込んでいるのだよ/
こゝいらはふきの花でいつぱいだ

・注文の多い料理店(全員)
(二人の若い紳士:耕史・段田 地の文:佳乃)
*料理店の扉に次々と現れる「注文」の言葉が、
 その都度スクリーンに映写される。
 紳士たちのやりとりはコミカル。

・何と云はれても(段田ソロ)
何と云はれても/わたくしはひかる水玉/つめたい雫/
すきとほった雨つぶを/枝いっぱいにみてた/
若い山ぐみの木なのである

・よだかの星(全員)
(地の文:耕史 よだか:佳乃 よだか以外のもの:段田)

それからしばらくたってよだかははっきりまなこをひらきました。
そして自分のからだがいま燐の火のやうな青い美しい光になって、
しづかに燃えてゐるのを見ました。…

*この最後のくだりのマリンバ演奏には、
 かすかに「星めぐりの歌」のメロディーが聴き取れる。

・春と修羅(mental sketch modified)(段田ソロ)
心象のはひいろはがねから/あけびのつるはくものからまり/
のばらのやぶや腐植の湿地/いちめんのいちめんの諂曲(てんごく)模様/
(正午の管楽よりもしげく/琥珀のかけらがそそぐとき)
いかりのにがさまた青さ/四月の気層のひかりの底を/
唾(つばき)し はぎしりゆききする/おれはひとりの修羅なのだ/
…(後略)…

【文字映写】
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない

*「農民芸術概論綱要」序論(1926[大正15]年)より

・短歌
まぼろしとうつつとわかずなみがしら/きほい寄せ来るわだつみを見き(耕史)

あゝこはこれいづちの河のけしきぞや/人と死びととむれながれたり(佳乃)

地に倒れ/かくもなげくを/こころなく/ひためぐり行くか/しろがねの月(段田)

・永訣の朝(佳乃、カッコ内のトシの台詞:段田)
けふのうちに/とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ/
みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ
(あめゆじゆとてちてけんじや)
…(中略)…
おまへがたべるこのふたわんのゆきに/
わたくしはいまこころからいのる/
どうかこれが天上のアイスクリームになつて/
おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに/
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ

・短歌
双子座の/あはきひかりは/またわれに/告げて顫(ふる)ひぬ/
水いろのうれひ(耕史) 

・星めぐりの歌(歌唱:鴨志田智愛)
あかいめだまのさそり/ひろげた鷲のつばさ/
あをいめだまの小いぬ/ひかりのへびのとぐろ/
オリオンは高くうたひ/つゆとしもとをおとす/

アンドロメダのくもは/さかなのくちのかたち/
大ぐまのあしをきたに/五つのばしたところ/
小熊のひたひのうへは/そらのめぐりのめあて

*舞台上一面に星のようなライトがまたたき、夜空となる

・短歌
なつかしき/地球はいづこ/いまははや/ふせど仰げどありかもわかず(耕史)

ある星は/そらの微塵のただなかに/ものを思はずひためぐり行く(佳乃)

ある星は/われのみひとり大空を/うたがい行くとなみだぐみたり(段田)

・雨ニモマケズ(耕史ソロ)
雨ニモマケズ/風ニモマケズ/雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ/
丈夫ナカラダヲモチ/慾ハナク/決シテ瞋(イカ)ラズ/
イツモシヅカニワラッテヰル
…(中略)…
ミンナニデクノボートヨバレ/ホメラレモセズ/クニモサレズ/
サウイフモノニ/ワタシハナリタイ

・稲作挿話(佳乃ソロ)
あすこの田はねえ/あの種類では窒素があんまり多過ぎるから/
もうきっぱりと灌水(みづ)を切ってね/三番除草はしないんだ/
…(中略)…
これからの本当の勉強はねえ/テニスをしながら商売の先生から/
義理で教はることでないんだ/きみのやうにさ/
吹雪やわづかの仕事のひまで/泣きながら/からだに刻んで行く勉強が/
まもなくぐんぐん強い芽を噴いて/どこまでのびるかわからない/
それがこれからのあたらしい学問のはじまりなんだ/ではさやうなら/
……雲からも風邪からも/透明な力が/そのこどもに/うつれ……

・「ポラーノの広場〜六、風と草穂」より(全員)
「さうだ、ぼくらはみんなで一生けん命ポラーノの広場をさがしたんだ。
けれどもやっとのことでそれをさがすとそれは選挙につかふ酒盛りだった。
けれどもむかしのほんたうのポラーノの広場はまだどこかにあるやうな
気がしてぼくは仕方ない。」(耕史)
「だからぼくらはぼくらの手でこれからそれを拵(こさ)へようでないか」
(佳乃)
「さうだ、あんな卑怯な、みっともないわざとじぶんをごまかすやうな
そんなポラーノの広場でなく、そこへ夜行って歌へば、またそこで
風を吸へばもう元気がついてあしたの仕事中からだいっぱい勢がよくて
面白いやうなさういふポラーノの広場をぼくらはみんなでこさへよう。」
(段田)
「ぼくはきっとできるとおもふ。なぜならぼくらがそれをいまかんがへて
いるのだから。」(佳乃)

・報告(全員)
さつき火事だとさわぎましたのは虹でございました/
もう一時間もつづいてりんと張って居ります

*耕史、段田、佳乃の順にひとりずつ語ったあと、
 三人声を合わせてもう一度。

【文字映写】(大意)
1933(昭和8)年3月3日 昭和三陸地方大地震。
大津波により死傷及び行方不明者三千人越ゆ。
同年9月21日、詩人、童話作家、農業指導者である宮沢賢治、永眠。


・すべてがわたくしの中のみんなであるやうに/
 みんなのおのおののなかのすべてですから

*「春と修羅」序 より

朗読者、立ち上がって客席に向かって礼。
=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-==-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=
*引用した文章の表記は『新修宮沢賢治全集』
第1巻 短歌・俳句 - 第16巻 書簡
(筑摩書房 , 1979.5-1980.8)による

静かだけれど、こころのやわらかいところにひたひたと触れてくる、
とても濃密な時間だった。
静かで心地よく、ときにはっとさせられるマリンバやチャイムの響き、
押さえた照明、あおいひかり、シンプルな衣装などみな好印象。

賢治の生年と没年に合わせるかのように、
昨年の大震災と同じような大地震と大津波が来ていたとは知らなかった。
最初と最後にその災害の歴史を示し、その中に鎮魂と再生を思わせる
賢治の言葉を丹念に構築した構成は見事。
「双子座の/あはきひかりは…」の短歌から「星めぐりの歌」へ進むなど、
よく考えられているなあと思った。

奇しくも観劇日の5月28日は、
晴れていた午前中から風が強くなり、
木々がそれこそ「ごとんごとん」と揺れ、
やがて真黒な雲がやってきて天地がひっくり返るほどのどしゃぶりとなり、
関東のあちこちで雹も降るという激変の天候だった。
人智の及ばぬ自然の猛威を思い知らされ、賢治の世界がより心に染みた。

朗読者への感想。
段田さんはさすが一番多く出演されていることもあり、
職人的なゆるぎない安定感で、朗読の醍醐味をとっぷりと味わった。
『よだかの星』の、よだかに話しかけるものたちの台詞は、
声の調子を全部変えて達者なもの。
『春と修羅』の深みも素敵。

耕史くんはナレーションの時はいつもそうであるように、
演劇の声音に比べると全体的に控え目。
ただ、「注文の多い料理店」では段田さんとの会話で進むだけに、
結構作りこんだ声ではじけていた。笑いを取りにきた、という感じ。
昼夜両方見た人の話だと、昼はもっと押さえて淡々としていたそうなので、
夜は思うところあってぐっと変えてみたのだろう。
『よだかの星』のナレーションはやさしくてとても良かった。

申し訳ないのだが、木村佳乃さんは私の好みからすると物足りなかった。
ただ素直に読んでいるだけで言葉がふくらまず、するする過ぎてしまう。
もっとふくらませる人だったら作品の印象ががらりと変わるはず。
麻美れいさんとか白石加代子さんのような、
百戦錬磨の舞台女優さんで聞きたかった。

「朗読を聞くのには集中力が必要だから、
あらかじめ内容を確認して、センサーを高めておいたほうが良いよ」
と、またしてもKさんが親切に情報を提供してくれたおかげで、
宮沢賢治全集の該当部分をコピーし、朗読順に並べ、
自分でも声を出して通読してから臨んだ今回の公演。
いわば耕して柔らかくした土のような頭に、
さまざまな言葉のタネが落ちてきて、
芽を出してくるような感覚を味わった。

賢治の、誰にも真似できぬ言葉の世界の奥深さ。
高校生の頃に詩集を買い、その後もずっと親しんできた私にとって、
改めてその素晴らしさがしみじみ感じられた公演だった。
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