7月7日、初日観劇。(19:30〜21:15)
http://www.duelsisters.com/post/759.html
明星真由美さんを観たくて、仕事帰りに赤坂へ。
(開演時間がわりと遅いので駒場からずっと歩いてみたら
1時間ちょっとかかった)
赤坂RED/THEATERも「双数姉妹」も初めて。
明星さんも学生時代所属なさっていた早稲田大学の演劇研究会の、
有志によって創られた劇団とのこと。
19時開場の際、観客はまず舞台袖からセッティングされた舞台の上を通り、
段を下りて客席へ、という、滅多に出来ないような体験をした。
「まだ時間がありますから、小道具の椅子に腰かけたりしても良いですよ」と、
案内役の演出家・小池さんに言われたけれど、さすがにちょっと。
この芝居には台本がなく、即興のエチュードのようなつくりらしい。
舞台には目が見えない「見ざる」さん、
口がきけない「言わざる」さん、
耳が聞こえない「聞かざる」さんが複数登場し、
なんとかお互いやりとりしようとするのだが、
見えないひとはアイマスクを付け、喋れないひとはマスクを付け、
聞えないひとは外の音を遮断するイヤーマフを付けていて、
リアルにその機能を封じられているから、
それはもうとんちんかんなことになって思わず笑ってしまう。
見ていると、明星さんがブログでおっしゃっていたように、
”見えない人”は、気を付けて動きさえすれば、
好きなだけしゃべれるし、気持ちの上では一番自由な気がした。
”喋れない人”と”聞えない人”の対話のもどかしさといったら!
一語一語、手話のように大ぶりなジェスチャーを繰り返しても、
相手がそれを理解できない限り、何も伝わらず、何も進展しない。
また、”聞えない人”は、”見えない人”の達者なしゃべりを、
口元の動きでしか判断出来ず、とんでもない聞き間違いを繰り返す。
これは確かにフラストレーションが溜まりそう。
でも”喋れない人”のジェスチャーは、”見えない人”には見えないので、
”聞えない人”がそれを読み解き、通訳のように伝えなければ分らない。
三者の意志の疎通は、三者揃っていなければ出来ないわけで、
とても危ういバランス関係。
と、こう書くとなんだか哲学的な感じになってしまうけれど、
そのやりとりのちぐはぐさは、漫才のツッコミとボケみたいにおかしく、
客席はひっきりなしに笑っている。
でもこの伝わらなさ、もどかしさを見ていると、
面白うてやがて哀しき、というやるせない気分にもなってくる。
こうしてアイマスクやイヤーマフを付けていると記号として分りやすいけれど、
私たちのコミニュケーションにも、概してこういうことはあるだろう。
ひとはお互い、共通認識がないと、いくら声高に言っても身ぶりをしても、
理解は出来ないんだなと思う。
相手が伝えようとしているものに対し、
こちらにそれを受け止める想像力がなければ無理なのだ。
明星さんは”見えない人”の役だった。
キャストのトップにあがっている通り、堂々たる存在感。
繰り返される喫茶店での会話の噛み合わなさ。
同棲しているパートナーとのやりとりのリアル感。
回りのひとたちを気配で感じて、おもちゃのバットでばんばん叩くところは、
痛快なゲームのようで拍手が起きていた。
最後、「きみはなにもみていない」と伝えてパートナーが去ったあと
(これが伝わるまでなんと長い時間がかかったことか!)、
自室に帰ってきて、パートナーが居た時と同じように部屋のなかを歩き、
上着をハンガーにかけ、冷蔵庫から水を出してコップに注ぎ、
小皿にピーナツを入れ…という一連の動きをするのだけれど、
本当に見えないままやっているのだから、とてもスリリングで目が離せない。
ソファや椅子にひざが軽くぶつかったり、小皿が落ちたり。
ここは完全に一人芝居。
”喋れない人”であったパートナーが居た時には、
彼が影のように彼女に寄りそって、ハンガーもコップも小皿も
彼女に合わせて良き位置にさっとセッティングしていたのを見てきただけに、
この一人きりの危うさが、なおさら胸にこたえる。
これもひとつの「サヨナラ」。
他の役者さんたちはすべて初見の方だったけれど、それぞれ個性的。
もう一人の”見えない人”の今林さんもよく響く声で達者なしゃべり。
よくしゃべるせいか、やはり”見えない人”がリードしているような印象。
対して、”喋れない人”の佐藤拓之さんや河野直樹さんは、
思いをぐっと秘めてよく働くけなげな人のように思えた。
「レッツゴー三ざる」の「言わざる」さん役の五味祐司さんは、
ジェスチャーの分らなさぶりが抱腹絶倒のおかしさ。
熊懐大介さんと辻沢綾香さんの”聞えない人”は、
自己中心的な今時の若者っぽい感じ。
実際、イヤホンしてるので人の話聞いてない若者って多い気がする。
目は携帯などを見てるので、回りも見えていないし。
いろんなことを示唆しているようで、あれこれ考えさせられた。
舞台装置はソファや机、椅子、冷蔵庫や食器戸棚などで、
状況によって暮らしている部屋にもなり、喫茶店にもなり。
照明が落ちることはなく、ずっと明るかった。
目立ったのは衣装の水玉。すべての人のカラフルな服に水玉模様が入り、
アイマスク、マスク、イヤーマフも水玉模様だったのが可愛かった。
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