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2010年06月22日01:34

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鶴見正夫さんの「母に」と「最後のサムライ」

『Mother』第9話で効果的に使われた童謡
「あめふりくまさん」について調べた時、
作詞者の鶴見正夫さんが幼少時にお母様と別れ、
辛い思いをなさった方だと知り、
詳しい年譜とその別れをうたった「母に」の全文を是非読みたいと思った。

区立図書館で検索して借りてきたのは、
・『鶴見正夫少年詩集 ぼくの良寛さん』(2002年 理論社)
・『現代児童文学作家対談10
  奥田継夫 砂田弘 鶴見正夫』インタビューア神宮輝夫
 (1992年 偕成社)
「母に」の全文は詩集に、自筆年譜と作品リストは対談集に載っている。

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「母に」

いくらよんでも こたえぬ空
どこまで追っても 遠い雲
いまは秋のおわり
白く 冷たく
山茶花が咲いている

母よ
わかれたひとよ
わかれたあの日も
山茶花が咲いていたのだろうか

なにしろ ぼくはおさなくて
おぼえているのはたったひとつ
わけもわからず 悲しくなって
あたりいちめん そらおそろしく
小さな心はふるえていた

あなたは 何もいわなかった
足ばやに ぼくから去った

待ちはじめたのは あの日から
待ちつづけ 待ちつかれ
つぎに ぼくは
耐えることを知った

耐えることは むなしかった
それでも 耐えて
やがて ぼくは
あなたを忘れた

ああ 母よ
わかれたひとよ
あなたは ぼくに 
なぜ 待つことをおしえたのか

なぜ 耐えることをおしえたのか
そうして なぜ
あなたを忘れさせたのか

わからないまま 少年になり
ぼくは もう
自分の道を歩きはじめている

でも いい
いまは わからぬままがいい

いつか あなたを知る日がくる
そのとき ぼくは
きっと あなたを呼ぶだろう
山茶花のかげから 空を見て
―お母さあん
大きくやさしく 呼びかけるだろう
--------------------------------
(詩集 p.39-42)

この詩を読んでいると、どうしても『Mother』を連想してしまう。
あふれるような切なさ。
年譜によれば物心つくまえにお父様は病で亡くなり、
その後子どものない伯父夫婦の養子となったあと、
実のお母様は再婚されて家を出たという。
この時、鶴見少年は10歳。「心が痛く傷つく」と自ら記している。

1995年に亡くなられて後に出た詩集の最後には、
童謡の歌詞を作る「6の会」の同人だった坂田寛夫さんが
言葉を添えていらっしゃる。
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年譜では鶴見さんは新潟県、旧村上藩の士族町に生まれてすぐ父と死別。
少年時代伯父夫婦の養嗣子とされた翌年、小学校教師だった母が再婚生別します。
そんな事情を初めて明らかにしたのが、五十歳前後に続けて発表した
「母に」と「父よ」でした。
実はその前に、戊辰戦争で村上藩を賊呼ばわりした薩摩長州軍への、
そして降伏の代償に若い指導者の命をさし出した藩の保守派への義憤。
逆に明治以後その町の士族が得たささやかな特権への痛み。
以上二つの主題を小説に書きました。
この転換点の終止符のような二篇の詩、中でも「母に」は、
鶴見さんの痛恨と衿持の鬩ぎあうマグマが、ある日突然詩に昇化したと申しますか、
最後の「お母さあん」は鶴見さんならではの絶唱です。
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(詩集あとがき「詩である童謡と、童謡である詩」p.141)

ここで触れられている、戊辰戦争をあつかった小説と言うのは、
幕末の村上藩の若き家老・鳥居三十郎を描いた作品で、
鶴見さん自身は、対談集のなかでこう語っている。

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鶴見―
ぼくの祖母は、明治維新のとき七歳ぐらいだったんです。
その祖母は、官軍が攻めてきて村上城が燃えているなか、
母親に手をひかれて逃げていった話をしょっちゅうするんです。
それで祖母は、薩摩、長州を仇敵のように思っているんです。
そのときに、鳥居三十郎という若い二十代の家老が責任者にされ、
切腹を命じられたんです。
ところが、その鳥居三十郎は好戦派ではなく和平派だったんです。
結果的にその人が責任をとることになった矛盾に対して、
祖母はさかんに憤慨して、「なにが賊軍か」と言うんです。
ぼくは子ども心に「賊軍」て、へんなふうに感じましたね。
それが心にしみついていました。
人間は、必ずしも正しくて立派な人がいい結果になるとは限らず、
逆の運命になるときもあると、ずっと感じていました。
-----------------------------------
(対談 p.322)

奥羽越列藩同盟に加入していた村上藩の悲劇。
こちらもさまざまなことを連想してしまう。
この『最後のサムライ』(1971年 国土社)も、是非読んでみたいのだが、
版元はすでに品切れで、図書館の所蔵もあまりないようだ。
なんとかそのうち見つけたいと思っている。

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