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2006年05月27日00:13

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函館旅行記3(5月21日午前)

<谷地頭温泉>
早朝5時前に目覚めてしまったので、
ホテル朝食の7時までには間がある。
前夜時間切れで行くのをあきらめた谷地頭温泉で、
朝湯に入ろうとタクシーを拾った。
普段タクシーを使うなど冥利がわるくて滅多に乗ることはないが、
頼りの市電は7時近くまで動かないので致し方ない。
でも千円程度ですぐ着いたので助かった。

市電の終点・谷地頭からほど近く、昨日訪れた碧血碑への道からもすぐ。
地元の人に親しまれている気軽な公衆浴場だけど
露天風呂もちゃんとある。
銭湯ファンとしては行く気満々で荷物に銭湯セットも用意していた。
入浴券380円を買って入る。
間口も中も広々として市民プールを思わせる。
一階の畳敷きの広い休憩室や、浴槽のある二階のソファ席も
ゆったりとして気持ちいい。

湯はあたたかな黄土色ににごってつかった自分の体も見えない。
まだ朝の6時過ぎだというのにすでに湯を楽しむ人たちの多いこと。
ちいさな子どもの手を引いたお母さんやおばあちゃんもいる。
浴槽は低温、高温、気泡の3つ+外の露天風呂。
露天は五稜郭を模して屋根付きの五角形。
湯の温度は各浴槽ごとに1℃ずつ違っていて、42〜45℃。
高温の浴槽には誰もいなかった。
東京だと46℃もざらなんだけどな。
熱湯好きでやせ我慢の江戸っ子だから。

露天は素敵だった。
前日に引き続いての晴天に映える春の山がほの見える。
寒くもないので風呂の木の枠に寝そべるように目をつぶる人もいる。
うっとり夢見るようなこの世の極楽。
あまり気持ちよくて出たり入ったり一時間ものんびり。
宿への帰りはもう動き出した市電に乗って。

<朝食>
今回のパック旅行は一泊朝食付きだったのでホテルの食堂で朝食。
納豆、卵、鮭、味噌汁などは定番だけど、
いかそうめんがしっかり付くのが函館らしい。
前日の朝食は到着してすぐ、駅近くのどんぶり市場の中で食べた。
イカといくらのミニ丼、ほっけ、味噌汁など盛りだくさん。
思ったより小さな場所にたくさんのお店がならんでいて迷ったが、
結局入ったのは史実(ふみ)というお店。
自分と同名の店はやはり気になります。

<市電>
前日の到着後すぐに購入した市電・市バス乗り放題の
2日乗車券が大活躍。
5分〜10分間隔でやってくるし、たいていの場所には
これでアクセスできる。
こういう町中の路面電車は大好き。
昔なつかしい床の油染みた匂い。わくわくする。
「箱館ハイカラ號」というレトロ仕様の
クリーム色と赤色の車体はとても可愛かった。
普通の車体にはいろんなお店や商品の宣伝が全面に描かれていて
東京都の都バスなどと同様。
湯の川から函館駅付近までは一本だけど、3つ先の十字街で
函館どっく行きと谷地頭行きの二股に分かれる。
函館駅を中心に考えれば、谷地頭へもどっくへも五稜郭へも
それぞれ15分足らずで便利。

<函館港周辺の洋館〜滅びの美>
まずは十字街からひとつめの末広町で降りて広い基坂をのぼる。
この坂はCMや映画などによく登場することで有名。
港側から函館山の裾に向かっていくつもの坂があって
結構な勾配だけれど、その分上から見下ろした時の眺めはダイナミック。
行く手に見えてくるのは水色の壁と枠の黄色が
きわだって鮮やかな旧函館区公会堂。
でも私が目指すのはその手前の元町公園に立つ「函館奉行所跡」。
一本の碑が立つばかりだが、この場所に立つと、
海上からの艦砲射撃を受けて望楼が損壊したというのが実感できる。
眼下にひろがる海の近さ。
入り江の向こうにまっすぐ五稜郭タワーが見え、
ここからあの五稜郭に移されたという奉行所の変遷が
立体的に飲み込めた気がする。
公園の向かい側には市立函館病院跡地もある。

元町公園前の道を行き、弥生坂をくだって電停の大町付近へと。
昔は税関の役割を果たしていたという「沖の口役所跡」。
当時は新選組の一隊が警衛にあたったとか。
現在は旧西警察署の建物があるそうだが、あれ?がれきの山!
写真で見ていた丸みのある建物は跡形もない。
工事のお知らせによれば4月19日から壊し始めたらしい。残念。

でもそんなこと吹き飛ばすくらい風情ある建物や景色が
次から次へと現れた。
タンポポに埋もれるように建つ存在感のある納屋、
西部劇の町を思わせるような褪せたペンキと浮き上がりかけた板壁。
煉瓦塀の向こうに見える昔ながらの物干し竿。
板やトタンに塗られたペンキの色合いの素敵なこと!
青だの青磁だのかつて鮮やかだった色の薄れ加減がたまらなく良い。
一歩踏み出すごとにシャッターを切っている自分に抑制がきかない。
普通なら先ほどの華やかな公会堂のあたりから反対側に進めば
ハリストス正教会だのカトリック元町教会だの綺麗どころが続くのに、
私ときたらこんなところで、はがれかけたトタン屋根などに
夢中になっている。

幸坂を上ってゆくと赤い煉瓦に白い窓枠がうつくしい旧ロシア領事館。
明治43年に建てられたものとか。
現在は閉ざされていて内部見学は出来ないが、
小さな中庭までは入ることが出来る。
ここは初日に来たというKさんたちのお勧めだった。
お言葉にたがわず素敵で胸がどきどきする。
閉ざされた秘密の花園のよう。
樹木の緑はあくまで明るく、
黄色いタンポポは一面気ままに咲き乱れている。
ここだけ時間が止まっているみたいだ。

なぜこんなに廃屋に惹かれるのか以前考えたことがある。
詩人・立原道造の卒論(建築学科卒)に引用された言葉を読んで
腑に落ちたような気がした。
「生母としての自然へ、人間労作のつくりあげた形のふたたび帰り行く、
まさに崩れかける瞬間が美」。
人工の物が自然に融合してゆく安らぎなのだろうか。
建物博物館ではときめかない。
それはもう息の根をとめられて固定された標本にすぎないから。
植物と同じで建物も生きている。
ちゃんと道端に生えていて欲しいのだ。


<称名寺・高龍寺>
塀からのぞいている八重桜が綺麗だ、と思ったらそこが称名寺だった。
箱館戦争当時、新選組が屯営としていたという。
土方や野村利三郎たちの名が刻まれた慰霊碑に手を合わせる。
元々の供養碑は度重なる家事や台風に損傷してしまったので、
現在のものは昭和48年建立だとか。
箱館開港の基礎を築いた北前船の高田屋嘉兵衛の墓もある。
再建されたらしい本堂のクリーム色の柱と紅色の欄干が鮮やか。
入ってきた門を見返るとまっすぐ向こうに青い海が見える。
墓所からも海は見渡せて気持ちのいい眺め。
ここに眠るなら御霊もさみしくないような気がする。

寺町通りをもう少しのぼってゆくと門構えの立派な高龍寺。
ここは榎本軍の野戦病院として利用されたところ。
敵方に責められ、傷病兵たちが惨殺されるという痛ましい事件で
多くの会津藩士が犠牲になったという。
その慰霊のために建立された「傷心惨目」の碑に祈りをささげた。
ここのお堂は百年以上たっている古刹とかで、見るからに風格がある。
松の緑に八重桜。花びらがはらはらと散りかかる。
ここも境内から門のほうを見ると、額縁に入ったように海が見えた。

「渚の砂は、崩しても、積る、くぼめば、たまる、音もせぬ。
ただ美しい骨が出る。貝の色は、日の紅(くれない)、渚の雪、浪の緑」と、泉鏡花の『春昼後刻』を口ずさみながら道を下って市電の函館どっく前へ。
電停近くに海の神を祭る厳島神社があった。
いったん函館駅前へ戻り、次にめざすは土方歳三函館記念館。

(続く)
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