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2010年02月07日01:33

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ラブリーボーン

2月3日、池袋シネマロサにて鑑賞。
http://www.lovelyb.jp/

これを見ようと思ったのは、
ピーター・ジャクソン監督による少女ものだと知ったから。
『ロード・オブ・ザ・リング』ですっかり有名になってしまったけれど、
私にとっては何よりも『乙女の祈り』(1994)の監督なのだ。
ニュージーランドの不思議な風景、
少女たちの頭のなかでふくらんでゆく異世界、
思い込みが過ぎて実行されてしまう殺人、
少女期特有の、いびつで強靭な妄想世界にぞくぞくしたことは忘れられない。
14歳の少女が主人公であり、死後の世界が描かれるというこの作品には、
それに共通するものがあるのではないかと思ったので。

確かになんとも言えない不思議な異世界はスケールアップされていて圧倒的だし、
ぐいぐいと迫ってくるようなカットバックは息もつかせぬ迫力だし、
主役のスージーは本当に活き活きとして愛らしかったけれど、
それだけに、彼女が殺人者のワナにまんまとはまり、
その魔の手にやられてしまうことがあまりに傷ましく、
非常にショックを受けてしまった。
「これは私が天国に行ってからのお話」という映画のキャッチコピーは、
なんとなく甘やかに響くけれど、正確にいえば彼女はまだ天国に行っていない。
いわば成仏できないまま、その手前の世界から
もといた世界を見つめつづけているのだ。

原作は読んでいないし、事前に情報を見ないようにしていたので、
彼女がどのようにして死んだのかは知らないままだったのだが、
少女ばかりを狙う変質的なシリアル・キラー(連続殺人犯)の
手にかかってしまったというのがやりきれない。
ほかにもたくさんの犠牲者がいたということ、
そして彼女の遺体がどのような末路をたどったかということは、
あからさまに描かれなくても、胸がしめつけられるように怖く、
深く心に突き刺さる。
スージーの妹のリンジーまで彼に狙われるようになり、
思いきって殺人者の家に踏み込んで、ついに証拠を手に入れるくだりでは、
本当にどきどきして手に汗握った。

初恋の彼と、本当の恋が始まる直前だったスージー。
子どものまま逝ってしまった少女。
何の落ち度もない可愛らしい子で、素敵な両親と兄弟がいたのに、
こんなことがあっていいのだろうか。
残された両親の嘆き、哀しみ、どこにぶつけてよいのか分らない思い。
父親が叩き割るボトルシップが、少女の世界の海で巨大な帆船となり、
打ち寄せてくる場面には目を見張ってしまう。
幸せな家庭の崩壊。家族の気持ちの離反。そして再生。
天国の手前でさまようスージーは、それらのすべてに立ち合っている。

それにしても異世界の風景には目を奪われる。
広々とどこまでも続くような草原。枝を広げた樹。
この世ならぬひかりに染まった雲。すべらかな海面。
湖の中の四阿(あずまや)、そこに立つ恋人。
まさに少女の空想世界。さすがピーター・ジャクソン!
彼女が最後近くに、ようやく初恋の彼と心をかよわせることが出来て、
胸を打たれた。

ひとつびっくりしたのは、
「1973年12月6日、私は14歳で殺された」というスージーの言葉。
その年にその年齢ということは、彼女は私と同い年だ!
彼女が身につけているシャツやベストだとか、裾広がりのパンタロンだとか、
言われてみれば、なんとなく見おぼえがあるような。
ぽっくりみたいな厚底のサンダル、33回転のLPレコード。
読書好きらしい彼女の母親が、『スポック博士の育児書』を読んでいるのも納得。
当時世界的なベストセラーになったというこの育児書は、
日本では暮しの手帖社が翻訳を出していたっけ。
そうか、私たちは同世代だったのね、スージー。
キッチュで面白いものに囲まれ、まだ希望に満ちていた時代。
なつかしく、彼女によりいっそうの親近感を持った。

スージー役のシアーシャ・ローナンは、無垢な彼女を演じきって見事!
父親役のマーク・ウォールバーグ、母親役のレイチェル・ワイズも、
たいへん魅力的だったけれど、
飲んだくれで派手で破天荒な祖母役を怪演したスーザン・サランドンにも瞠目。
強いアイメークの顔は、ギリシャ女優のメリナ・メルクーリみたいに
存在感たっぷりだった。
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