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2009年08月29日23:57

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「ドリアン・グレイの肖像」ポストトーク

8月27日21:40〜22:09
於 世田谷パブリックシアター

(注)手元で簡単なメモを取りながら聞いていたので、
大きな間違いはないと思いますが、
言葉尻その他、どうしても少し相違があるかと思います。
あくまでだいたいこんなニュアンスということで、
一言一句このままではないことをご了承ください。

この日の客席にはヘドウィグの際のアングリーインチメンバーや、
NHK『陽炎の辻』の撮影カメラマンみろくさんなどの姿も見えて、賑やか。
私は見かけなかったが、宮藤官九郎(クドカン)さんも来ていたとか。

9時半頃舞台が終わったあと、10分の休憩を挟んで、
演出の鈴木勝秀さん、ドリアン役の耕史くん、
ヘンリー卿役の加納さんによるトーク。
司会は演劇ライターの大堀久美子さん。
装置もそのままの舞台上に、椅子四脚が置かれ、
並びは下手から順に大堀さん、鈴勝さん、耕史くん、加納さん。

トーク最初の5分くらいは、役者二人はまだ楽屋でお着替え中。
鈴勝さんがノンストップでワイルドへの熱い思いを語り、
司会の大堀さんが合いの手を入れる。
この方は、控え目に、しかも的確な質問をされて良かった。

鈴勝さんの話の概要)
若い頃、演劇活動を始めたころは小劇場ブームで、
いろんな劇団がいろんなオリジナル芝居をやっていたけれど、
それらの芝居には自分の言葉で書いたものと、シェークスピアだとか
オスカー・ワイルドなどの古典をもとにした構成劇の二種類があった。
構成劇のほうは、音楽でいえばサンプリングのようなものかもしれない。
大学の演劇研の学生などが書いたオリジナルの言葉のほうは、
殆どどうにもならなかった。
後には三谷さんなどが出てくるけれど、たいていまず言葉が駄目。
オスカー・ワイルドのサロメなどは、大学生の言葉とは違う
圧倒的な美しさ、リズム感、心地よさがあってそちらのほうに惹かれた。
だからオスカー・ワイルドが演劇活動の原点。
この秋にも翻案劇としてサロメをやりますが、
(筆者註:篠井英介さん主演による東京グローブ座での公演)
もともと聖書で数行触れられているだけのことを、
想像力をふくらませて『サロメ』という作品にしたワイルドは素晴らしい。
学生時代には、3年生の時に1年生を迎えて
やはりオスカー・ワイルドの『真面目が肝心』(喜劇)をやったりした。
ドリアン・グレイにはオスカー・ワイルドの考え方の深さ、
美的感覚がよく現われていて、独自の美学がある。
そもそも美とは何か?汚いもの、残酷なものまでも含まれるというか、
もともと日本にも「月に村雲」とか、桜の散ったところがいいとか、
綺麗な月に雲がかかっているさまにも美を感じ取る感覚があって、
ドリアンにはそれがあふれていると思う。
山本耕史くんは天才なので、僕の感じる美しさを表現してもらえる。
10年前からこれはやりたいと思っていて、当時から持っている本は、
書き込みだらけでもうボロボロです。

ここでようやく着替え終わった耕史くん、加納さん登場。
耕史くんはすっかり素の顔で、最近よく見るメガネをかけ、無造作な髪型。
シンプルな白Tシャツにふくらはぎが見える短めの青ジーンズ。
足元はざくっとした感じのひも掛けショートブーツ(茶系)。
ナビ対談時と同じものかと思ったが色が違う。
でも途中までしかひもを掛けず、上は開いたままの履き方は同じ。
つい先ほどまでの苦悩する青年貴族とはまったくの別人。
こんな格好をしていると、背丈だけはあるものの、もっと幼い男の子みたい。

立ったまま、ぺこりと頭を下げてごあいさつ。
「どうも。しちぶたけです」
え?と一瞬意味が分からなかった、意表を突かれる第一声。
少したってから、あ、パンツの丈が七分丈だと言ったのか、と納得。
それにしてもそんな挨拶ってないでしょう(笑)
私はシチブタケって何の茸のことだろうと思ってしまいました。
加納さんも一言、と求められて、
「え?…あ…、ヘンリーでしたっ」と頭を下げる。
こちらは自毛で演じられていただけに、ヘンリー卿と髪型は同じままで、
私服のほうは白っぽいシャツとグレー系のパンツ。

大堀:ドリアンという役は?

山本:
今までやったことのないようなキャラクター。
台詞も、シェークスピアじゃないですけど、
大層な言い回しで、むつかしいですね。
キャラクターのつくりかたとしては、
頭から最後までずっと悪い男、というのもありだし、
最初純粋で悪くなっていって、悪いままで終わるというのもあるし、
色々トライさせてもらって、スズカツさんとも相談しながら、
最終的にはこうやろうと。

鈴木:いや僕は何も言ってないよ(笑)

山本:
僕はドリアンを人間として表現したい。
見た目はまあ、ファイナルファンタジーのひとみたいですけど、
彼の弱い部分、狂気の部分をちゃんと出したい。
(*このあたりで、椅子の後ろに置いてあった水のボトルを
取ろうとして、ちょっと体を傾けて手を伸ばしていた)
一直線ではなく、心が揺れる繊細なところ。
狂気のままでは生きていけない。
ヘンリーやバジルやいろんな人間がいるけれど、
彼は一番弱い人間。僕はそういうふうに思っている。

大堀:では加納さん、ヘンリーは?

加納:
世の中を斜に見てるような人ですが、
僕には最初から腑に落ちました。
彼の言ってるのは芸術論で、一見屁理屈なんだけど、
でも聞いてると、そうだよね、と思う。僕は納得してます。
で、ドリアンが耕史くんで、バジルが伊達くんで、
皆役にしっくり合ってるから、そのままやれるし、
自然に変えられる。楽しいです。

大堀:でも台詞としては型があるというか、仰々しいですよね。

鈴木:
最初はやっぱりたどたどしいですね。
役者さんに台詞が入ってゆくその過程は伺いしれない。
想像するしかない。
僕は見ているだけで楽しいです。
役者さんたちが勝手に作ってくれるので、
僕は、ああ変わったんだーああいい感じ、と見てるだけ。
台詞がなめらかに出てきて、どんどん発展してゆくのを。

大堀:そんな、演出家として台無しな発言を(笑)
(一同笑い)

大橋:山本さんは鈴勝さんとなさるのは、
三作目で、五回目ですよね。
やってこられていかがですか。

山本:
ちょっと特殊ですね。見てるだけなんです。
二千…何年かの『Last five years』の時にも、
ほんとに遠くで座って見てるだけ。
で、頭から最後まで一回目でやる。毎日それをやる。
普通は頭からここまでやってみましょう、というのが多いので、
終りまでやって頭に戻ると、最初のほうを忘れてたりする。
毎回全部やるのは負担が大きくて大変だけど、
でも、このシーンあんまりやってないな、というのがない。
同じ数やってるから、精神的なものが鍛えられる。

大堀:加納さんはいかがですか。ご自身で演出もされていますが。

加納:
聞いてた通りですね。
見てる人だよ、毎日全部やるよ、と聞いてた通り。
こうもありかな、こうでもあるかな、という。
僕の演出なんかは、それこそ二週間少しずつやって、
頭忘れてるタイプだから。
いろんなものがいっぱいくっついてて、シンプルじゃないから。

大堀:今回の音楽はオリジナルですね。
(作曲と演奏は前嶋康明さん)

山本:
どんどん進化してますから。
終わるまでにまだ二曲くらい増える。…嘘です(笑)
でも前嶋さんの紹介がないので、
カーテンコールで出てくる時、誰?って思う人がいるんじゃないかと。
この作品はミュージカルではないけれど、
ハミングで歌ったり、音楽とこういう交わり方をして、
この世界が出来ている。
実際生で聴いてみるとすごいですよ。
イメージを後押しされるし、歩き方が変わってくる。
信頼しています。

大堀:サントラ盤が欲しいですね。

鈴木:
彼は完璧主義者だからね。まだちゃんと弾けない、と。
公演が終わったあとも、スタジオで練習してます。

山本:
一番練習してますよね、前嶋さんが。
で、確実に変わってきている。

鈴木:
ムードによって、ここワルツにしよう、とか言って、
二幕の頭はワルツになりました。
芝居の進行とともに作曲して、プレイもしてくれる。

山本:
で、基本的にミスタッチはない。
だって前嶋さんが作ってるものだから、
あらかじめの譜面があるわけじゃない。

鈴木:
間違って聞こえるとしたら、それはこちらの聞き間違い(笑)

山本:
あれ、メロディの中に不協和音をわざと入れてるんですよね。
稽古場では気付かなかったけれど、
あの音を入れるのはむつかしいんですよ。
半音とか、一音をぶつけている。

大堀:
ミュージカル以上に音楽劇ですね。
それにしてもずっと前嶋さん話ばかりですが。

鈴木:
ここに居ないひとのことは話しやすいから(笑)

山本:
『L5Y』の曲もすごくむつかしい曲なのに、
すぐ弾けてしまうんです。譜面があればすぐ弾けちゃう。

大堀:でもまだ弾けない曲があると。

山本:
それはね、作曲は頭の中で作ってるから。
弾きながら作ってるわけじゃないから。
だから、頭のなかではもう出来てるんですけどね。
僕、ヘンリーの曲大好き。

加納:
ドリアンが「善人になる」というところで、
耕史くんは、その前までそうじゃなかったのに、
いきなり泣いちゃったんですよ。
で、僕はえええーっ、泣くのー?って、
もういい、この子、いらない!って気持になっちゃって、
あの指輪を返すところも、テンションが全然違ってしまって、
そしたら前嶋さんが「加納さん、曲替えます!」って。
そういう役者のテンションで、微妙に変えてくる。

大堀:演出家をさしおいて(笑)

鈴木:音楽も共演者の一人ですからね。

大堀:その舞台もあと六回ですね。

山本:
ねえ、あれだけ長く稽古したのに。
スズカツさん(*ここ、うっかりクズカツさんと言いかけた)、
お客さんに稽古をしてるところから見てもらえば。

鈴木:それはちょっと蜷川さんっぽいね。

山本:
あ、そうなんですか。
でも皆、どうやって舞台が出来ていくのか、
興味はあるんじゃないかな。知らないでしょうから。

加納:
じゃあそれは企画としては、本番より高い料金で(笑)

大堀:
では時間も押し迫ってきましたので、
最後に肖像画のことについて。
結局本物の絵はなくて、額の枠組みだけと、黒というか褐色に
塗り込められたものと、その二つしかないわけですが、
絵に向かう場面で、役者さんには絵が見えているんでしょうか。

山本:
あ、僕は、はっきり見えてます、完全に。
両眼は角度までついている。
最後にナイフを持っているところ、絵をなぞっているのは、
あれは眼の部分をなぞっているんです。そこを狙う。
こうやってポーズしているドリアンの左の顔が見えている。

大堀:加納さんは?

(加納さんが答えようとしている時に、一人客席を立つ客あり。
すかさず耕史くん「帰っちゃうんですか?」のツッコミ)

加納:
あの黒いのは、凹凸をつけるものなんです。
わざと砂や顔料を入れて。
で、あれはすごくいい感じで凹凸がついてて、
味わいがあって、綺麗で、本当に好きなんです。

大堀:ではあのヘンリーの「おおー」というのは、本気なんですね。

鈴木:
見えないものを重ねて見てゆくということですね。
ああいう黒い絵というのは初めてではなくて、
これまでにも何回も出ています。
水戸芸術館にも黒い大きな絵があって、見る人が試されている。
アメリカの画家で、白い馬を描いたのが気に入らなくて、
真っ黒に塗りつぶして「白い馬」というタイトルをつけたものがあります。
最後、ドリアンが死んでいる時、絵はまた黒にもどってゆく。
そこにドリアンの顔を見るか、人間の深い闇を見るか、
そのあたりは各自持ち帰っていただいて。

大堀:ありがとうございました。

(一同椅子から立ち上がって退場の際、
耕史くんは再び「七分丈でした」と言ってから引っ込み。
手にはしっかり水のペットボトル。
合間にも物おじせず、よく飲んでいました)
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