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2008年11月24日18:40

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「陽炎の辻2」第十二回<旅立ち>(11月22日)

*演出:梶原登城

メインエピソードは原作第十六巻『蛍火ノ宿』第五章「千住大橋道行」。
身請けが決まって吉原を出る前日夕べの白鶴花魁、いや奈緒と磐音の、
涙なくしては見れない障子越しの会話と別れ。
彼女と前田屋蔵之助との旅立ちに従い、
途中の襲撃から救うのは、原作と多少違う段取り。
おこんが気鬱のきざしを見せ、勧められて磐音と共に湯治の旅に出るのは、
第十七巻『紅椿ノ谷』第二章「鰻屋の新春」から第三章「冥加樽の怪」、
第四章「ふたり道中」まで。

ついに最終回。
数年ぶりの二人の障子越しの対峙という、前回最後の場面の続きで、
いきなりクライマックスのような始まり。息が詰まった。
磐音の流す、滂沱の涙の切なさにも胸がしめつけられたけれど、
奈緒の想いの深さ、一途さにも涙涙。
ドラマ演出は、原作にほぼ沿いながらも、目からうろこの衝撃だった。
さまざまな意味で、二人の気持ちがズレているのだ。なんという悲哀。
これについては、縷々述べたい。

続くおこんと磐音との顛末には、少々不満。
これまでの、おこんの気持ちの追い詰められ方が丁寧だっただけに、
橋の上と、神社の境内での二度に及ぶ二人の抱擁のつなぎは、
ちょっとぎくしゃくしたような気が。
(ロケ見学のしすぎのせいで、あったはずの台詞と動きがカットされて
しまったことを知っているせいもあるけれど)
おこんとの未来を感じさせる二人の道中姿で締めくくるのは、
去年の第一シリーズの最終回を踏襲したようなイメージ。

<磐音の涙>

「お家の事情とはいえ、それがしは琴平を殺めてしまった。
 そのせいでそなたには、させずともよい苦労をさせてしまった」
「何を言われます。苦しんだのは磐音さまも同じではございませんか」
障子越し、顔を合わさないままの奈緒との対話で、
もうこのあたりから、磐音はのどがこくん、となり、
声が震え、涙声になり、どんどん涙が湧き出し、頬を伝ってゆく。
その切ない表情。大きな瞳からこぼれおちる、透き通った涙。
なんという泣き方をするのだろう。磐音がこれほど涙を流すのは初めてだ。
まともに顔を合わせていたなら、彼はこんなに泣けなかったかもしれない。
まさしく滂沱の涙。見ているだけで切ない。
二人の運命の過酷さを思う。

それでも障子を開けようとする奈緒を「開けてはならぬ!」と
涙いっぱい湛えながらも一喝する。
「夢を見た。陽炎の辻に立ち、別れを告げるそなたの夢を。
 我らは生まれたときから別々の道を歩む定めであった」
血を吐くような台詞。
奈緒の夢も「陽炎の辻」という台詞もドラマのオリジナルだけれど、
あのゆらめくような道に立つ奈緒の姿を、タイトルにつなげたのは印象的。

<奈緒の想い>

しかしながら衝撃的だったのは、この場にのぞんだ奈緒の姿のほうだった。
前回の終わりでは、彼女の顔と白い着物の肩のあたりは映っても、
全体像は分からなかったのだが、この姿は…
この垂らした髪、白の衣裳。どう考えても床入りのための姿!
大河『篤姫』における、寝所の場を連想してしまった。
ちなみに原作では磐音の視点だけで描かれているから、
奈緒の姿の描写は何一つない。
漠然と、白鶴花魁としての姿なのかと思っていた。
この姿はドラマ脚本、演出の解釈だろう。

奈緒は、ここで刹那だけでも磐音と契るつもりだったに違いない。
翌日には別のひとのものになる身だとしても、最後に彼に抱かれて
それを一期の思い出に、旅立つつもりだったのだ。
そうか、そうだったのか。
その覚悟の上でここに磐音を呼び寄せていたとは。
ただ会うだけで済むはずはない。そこまで求めていたのに、
拒否されるのは青天の霹靂ではなかろうか。

思えば彼女は磐音の今の生活、おこんという存在を知る機会は無かったはず。
原作では吉原と磐音周辺の間には、それとなく両方に様子を知らせているような
北尾重政という絵師が居て、多少の事情は飲み込めていたようだけれど、
ドラマの中では事情が違う。
奈緒にしてみれば、自分が困っている時には飛んで助けに来てくれる磐音が、
自分を一途に愛し続けていてくれると思っても、無理はない。
それをただひとつの支えに、彼からの簪をお守りのように耐え抜いてきた
彼女の想いの深さ、これまでの苦労を思うと、こんな残酷はない。

磐音だって「会えば狂う」ことは分かっている。
顔を見るだけではすまない。必ずや触れ合うだろう。
それを障子一枚の境界線で、節を保ち切った。
(襖ではなく障子にしたのは、奈緒のシルエットを見せたいための演出か)
立派ではあろう。でも奈緒には承服しがたいことだったはずだ。
すぐそこにいるのに。どんなにかすがって泣きたかっただろうに。
手にした簪が哀しい。

そのあと、白鶴として最後の花魁道中での彼女が、
なんとも言えないもやった顔をしているのも無理はない。
いつもならきちんとお仕事として花魁の毅然とした顔をするのに、
遂げられなかった願いが、彼女をうつろにしてしまったように見える。
磐音、これはあんまりです。これはむごい。
あなたにとっては過去のこと、思い切るべきことであっても、
彼女にとっては、生涯ただひとりのひとなのですよ。
多分してしまったら、磐音が一生苦悩することになってしまうのだけど、
ここばかりは、女として奈緒さんの気持ちに思い入れてしまった。

<出立と襲撃>

朝まだき、前田屋蔵之助と旅立つ奈緒は、
万感込めて彦屋の主と会所の四郎兵衛に頭を下げる。
薄いろに淡々と花が散った着物に黒繻子の衿、帯は青に白抜き模様、
そして頭は丸髷。初々しい女房の姿。
さしてくる朝のひかりに、彼女の白い顔が浮かび上がる。
「お幸せに」という短い言葉に込められた四郎兵衛の男気と、
「前田屋さま、よろしくお願い致します」と、蔵之助に深々と腰を折る彦屋。
その情になんだか涙ぐみそうになる。
静かに閉められる門。今こそ彼女は自由!しみじみ感じ入ってしまう。

並んで川の土手を行く二人。おだやかな朝の空気。
橋にさしかかった時、突然行く手からあらわれる、大口屋と豹次とお柊。
最初に思ったのは、ここはどこなんだろう?ということだった。
原作では朱引内の江戸四宿のひとつ、奥州日光街道の初宿である千住宿場の、
隅田川にかかる千住大橋で襲われるのだが、どう見ても宿場町の様相ではなく、
緑濃い郊外の、ひなびた橋に思える。
彼らも人通りのないあたりまで遠出して、待ち受けていたのだろうか。

おとなしそうな蔵之助にすごんで、打ち倒す豹次。
「旦那さま!」と寄り添う奈緒に、「お前を誰にも渡しはせぬ」と、
決意の声で笠を取り去り、杖を構える蔵之助。
顔右側半面に、薄いあばたのあと。しかしその面差しは磐音そっくり。
ここに至って、視聴者は初めて、前回彦屋が前田屋について
言いかけたことを知る。奈緒が彼に惹かれた訳も。
危うし!というところで、しゅっと豹次に向けて飛んだ小刀。
奈緒たちの後ろ側から、たたたっと走り出てくる磐音。
ひらりと飛んで体を入れ替え、向き直る厳しい顔に、はっと目を瞠る奈緒。
やたら甲高い声を上げて匕首を振り回す豹次など、磐音の敵ではない。
鮮やかに刀を回し、右へ左へと自在に動いて、すぐに倒してしまう。

<面差しの似た二人>

この運びは、原作とはかなり違う。
磐音は最初は前田屋蔵之助(原作の表記は内蔵助)に扮し、
手拭で頬かむりして顔を隠し、奈緒とともに吉原を出て、
予想通り千住大橋で襲ってきた豹次たちを、橋上で返り打つ。
そして奈緒の手を引いて、橋向こうで待つ本物の内蔵助のもとへ送り届ける。
奈緒はこの段取りを知らされていなかった。ほんのわずかの橋の上の歩みが、
磐音と奈緒の道行き、うつくしい思い出となった。

ここを読んだ時は、磐音の無私の献身に感じ入りながらも不思議だった。
いくら似ているからと言って、顔をかくしているからと言って、
手までつないだひとが、磐音だと分からぬものなのだろうか。
いくらなんでも、それはないような気がする。
ただおとぎ話だと思えば、本当に感動的な別れなのだ。
面と向かって顔を見せず、最後まで影に徹して守り抜いた磐音。

しかし生身の人間でやる以上、演出には紆余曲折があったことと思う。
事実、ロケ見学では、あばたのない顔の蔵之助(磐音?)と奈緒の道行場面を
撮影していたのだが、結果的にカットになった模様。(8月31日レポ参照)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=923667990&owner_id=949383
面差しの似ている二人を二役で演るのは当然だろうが、
今回磐音のコスプレはなく、律儀なまでに黒着流しスタイルで通している。
そのアイデンティティを保つため、ここでは分かりやすく、
身替りではなく磐音自身として付き従い、護衛に走り出たのかもしれない。
でもいいのかなあ。あんなに顔を合わせるのを拒んでいたのに、
まともに奈緒に姿を見せてしまって。

ここで初めて顔を合わせる蔵之助と磐音。
(原作ではむろん吉原であらかじめ会って、身替りの段取りを相談したはず
だから面識はあり、お互いの人柄も分かったことだろう)
うっすらとあばたのあとを残しながらも、律儀で初々しさのある蔵之助と、
まじまじと、奈緒の選んだ男を見つめる磐音。
二人耕史くんの不思議な場面。もちろんちゃんと別の人物になっている。
蔵之助が、やや目線をそらしておどおどしたように見えるのは、
やはり多少はあばたを気にし、初対面の磐音の強さに圧倒されているものか。
助けに入った分、磐音は優位に立っているように見える。

しかし磐音は何故、奈緒の扇を蔵之助に渡すのだろう。
白扇にさらさらと書かれた「風に問う 我が夫はいづこ 実南天」。
これは奈緒が磐音を思って、血のにじむような思いで書いたものなのに。
「わが夫(せ)」というのは、磐音のことであって、蔵之助ではないのだ。
素直に受け取る蔵之助だが、ちょっとわけが分からないようにも思える。
思い出の扇くらい、持っていても良いだろうに。
目の前で返されるのを見る奈緒の気持ちは?

それでも助けに来てくれた嬉しさのほうが勝るのか、
彼女は最後、かすかに笑みを浮かべて磐音の後ろ姿を見送ったが、
よく分からないのは、彼らと別れて戻って行く磐音の微笑みのほう。
一件落着で肩の荷が下りたのか、扇子まで返してすっきりしたのか、
複雑な思いも感じられず、やけにさっぱりした表情なのだ。
あれほど泣き、顔を見せるのも拒んでいたのに、どうも解せない。
武左衛門ではないけれど、「分からん!あんたが分からん!」である。

<武左衛門と柳次郎>

「何故開けてやらん。花魁だってそれを望んでいたはずだ。
 今さら手に手を取って逃げろとは言わん。だが障子を開けて、
 その身を抱きしめてやることくらい出来たはずだ」(武左衛門)
「何をしてるんですか、あなたは。奈緒どのを無事に送ったのなら、
 どうして真っ先におこんさんに会ってやらないのだ!」(柳次郎)

二人の友から、続けざまに責められる磐音。
それぞれ奈緒とおこんの気持ちを代弁してくれてるような、熱い叱責。
このくらい言ってやらないと、いささか世離れした磐音は分からないのかも。
詳しい事情まで知らず、先走っていたとはいえ、ありがたい友たちの言葉。

それにしても、このドラマでの竹村の旦那は、
どうしようもない原作のキャラクターと若干異なり、妙に物知りで頼もしい。
なにしろ原作の重要人物である中川淳庵や桂川国端など、
名だたる医師たちの台詞をそっくりいただいて、
おこんの診立てまでするのだから、あっけにとられてしまう。
しかし勢津さんの気鬱対処が、この長屋に越してきた理由だとは知らなんだ!

柳次郎も、最初の頃に比べると、ずいぶんしっかりしてきましたね。
彼が磐音にこんなに強い口調で意見するなんて、成長したなあ。
本当に良き友、良き仲間です。

<二度の抱擁>

柳次郎に言われて、とるものもとりあえず出かけてみれば、
確かに橋の上に立つおこんは、ぼうっとして、心ここにあらず。
風呂敷包みを手にしたまま、あらぬかたを見やっている。
まるでおこんらしくない、さみしげでうつろな表情。
こころが違う世界をさまよっているみたい。

それでも気を取り直し「奈緒さまはどうなりました?」
「出羽の国って聞きましたけど、むこうはずいぶん…」と気にする彼女に、
「奈緒のことはもういいでしょう」と、断ち切るようにきっぱり言う磐音。
「それがしには、おこんさんしかいないのです」
正面切った愛の告白。奈緒を送り出した今こそ、心置きなく言える言葉。
「…こんも同じです」自分から磐音の手を取り、
やさしく抱きしめる磐音にすがりついて、泣くおこん。
彼の不在を堪え、不安にさらされていた彼女を思うと、いじらしい。

しかしこれですぐめでたしめでたしとはいかない。
おこんが沈んでいったのは、磐音のことばかりではなく、
今津屋での立場のこともあるのだから、まだまだ情緒不安定。
武左衛門に勧められ、今津屋主人たちからも賛同を得た湯治の旅を、
承諾してもらうために説き伏せようとしても、けんもほろろ。
いつも優しく穏やかな言い回しの磐音も、さすがに「おこん!」と語気を強める。
「そなたにはいつまでも元気でいて欲しい。
 明るいおこんさんでいて欲しいのです。だからこそ言うておる」
こんなに真剣に言っているのに「嫌だって言ったら嫌です!」と、かたくなに拒み通す。
ああ、この状態に陥っていると、何を言っても駄目。
普段のおこんではない。心を病んでいるのだもの。

怒りと情けなさで逃げるように立ち去る彼女に迫る荷車。
それを助ける磐音。あら、どこかで何度も見た光景。
あまりにワンパターンな展開だけど、やっと我に返るおこん。
「そなたしかおらぬのだ。ともに参ろう。それがしとともに」
ここに至って、ようやく心が解け、
再び抱きついてさめざめと泣く彼女は、まるっきり子どもみたい。
よしよし、と背中をなぜている磐音も、幼い子をあやすよう。

結局おこんの不安は、奈緒のこと(恋愛面)と、今津屋勤め(仕事面)の
両方がない交ぜになった、自分の存在価値への揺らぎのようなもの。
そのため磐音は二度にわたって彼女を抱きしめ、
よしよし、となだめてやったことになる。(抱擁カウンセラー?!)
ほぼ続けざまの抱擁図だから、演出としても色々知恵をしぼって
メリハリつけようとした苦労が伺われるけれど、
あ、と思ったのは、この後のあおりの構図。

手ぶらで神社にやってきたはずのおこんが、
しっかり風呂敷包みを手にしたまま、磐音に抱きついている。
そう、これはその前の橋の上の抱擁場面で撮ったカット。
撮影を見学していたおかげで、このあたりの場面は、
何をどう撮ったか、こと細かく頭に焼き付いてしまっている。
二人の頭上に見えている空こそが、監督が見せたかった
初秋のうろこ雲が広がっている、淡い水色の空。

おこんの着物は、両場面とも、辛子色っぽいベージュ地の琉球絣。
帯はえんじ系の赤で、斜めに交差した白線のなかに、白抜きの撫子(なでしこ)文様。
いくら衣裳を同じにしても、赤茶の風呂敷包みの有無で一目瞭然だけれど、
矛盾はあっても、やっぱりこれをメインに持って来たかったんですね、梶原さんは。
確かに素敵な絵でしたが、これを生かすためにも、こんなにがたがたさせず、
抱擁は一度きりで良かったのでは。

<旅立ちのひまわり>

金兵衛長屋の面々のみならず、宮戸川の親方や地蔵の親分たちまで
顔見世のご挨拶のように打ちそろい、にぎやかに送り出される二人。
「夫婦旅ってやつ?」「かたいことは言いっこなし!」と、皆さん肯定的。
おこんもなんだかすでに元気を取り戻したように見え、ほっとする。

季節はまだ秋の初め頃なのだろうか。行く手についついと飛ぶ赤蜻蛉。
道筋に次々と現れるひまわりの花。鮮やかな黄色が目にまぶしい。
「誰かに会うために、その誰かを守るために、
 人はこの世に生を受け、生きてゆく。
 磐音とおこん、陽のひかり漂うその道を今、二人で歩こうとしていた」
この最後のナレーションにある「陽のひかり漂う道」というイメージに
ふさわしい景色として、この花が選ばれたのだろうか。

日本には江戸時代の始めごろ入ってきたキク科の植物。
「日輪草(にちりんそう)」「日車(ひぐるま)」などという別名も。
花言葉は色々あるけれど、その中でも「私の目はあなただけを見つめる」
「あこがれ」「崇拝」「熱愛」「光輝」「愛慕」というあたりは、
相愛の二人に相応しいものばかり。ぱっと明るく華やいで、太陽のよう。
原作者の佐伯先生が、耕史くんの舞台にたくさんのひまわりの花を
贈ってくださったことも思い出す。

整然と並んでいるからには、ここはきっとひまわり畑。
ここから花を出荷したり、種から油をしぼったりするんだろうか。
遠く出羽の国に旅立った奈緒が目にするはずの紅花畑も連想されて、
いろんなことを考えてしまった。
この最後の場面にかぶさって流れてくる、テーマ曲の歌詞は二番。
去年のシリーズの時も思ったけれど、この歌詞は本当に胸に残る。
「実ることもなく 終ることもなく あなたへの想いは永遠に続くでしょう」
奈緒も幸せであって欲しい、と祈らずにはいられない。
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