『
猿の惑星:聖戦記』
まさに
エイプによる“出エジプト記”。
重苦しい作劇と感情移入しまくりのシーザーの表情にエンタメであることを忘れて見入ってしまう。
オリジナルの第1作目でどうやって猿の惑星になっていったのか、主要キャストの登場シーンなど含めて色々と線が繋がるプリクエルシリーズの最終章。(…だよな)
傲慢で差別的な人類の愚かさに警鐘を鳴らす。
ともかくパフォーマンス・キャプチャー技術によるアンディ・サーキスの熱演に尽きる。
この技術が注目された功績には間違いなく本シリーズも貢献しているだろう。
製作サイドもそれを狙っている節があり、とにかくシーザーのクローズアップで魅せるシーンが目立つ。
戦争映画であり、脱獄映画であり、神話であり、差別映画である本作の捕虜虐待には過去の戦争の苦い記憶が重ねられているように思える。
エイプと人とをわけ隔てる要素として言語を持つ(話す)ことが一つの象徴となっているのが興味深い。
『キングコング:髑髏島の巨神 』でコングとサミュエル・L・ジャクソンのガチにらみが見られたように本作での大佐(ウディ・ハレルソン)とシーザーのそれも負けず劣らずの迫力満点。
復讐すべきかよきリーダーとなるべきかでシェイクスピアの悲劇並みに葛藤するシーザーの心情が強く伝わる。
思いのほか重厚な物語のためにオリジナルシリーズの見方が変わりそうなくらい。
そんな中、コメディ・リリーフ的存在の“バッド・エイプ”がいいアクセントになっている。
どうでもいい話だが、副題の『聖戦記』が一瞬<聖悠紀>に見えてしまった。(笑)
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