『
涙するまで、生きる』
「進むも地獄、退くも地獄」とはこのことか。
しかし、地獄であっても生きなければならない。
アルジェリア戦争を題材にしたアルベール・カミュの『客』(短編集 『追放と王国』に収録)を原案とした映画。
不条理な戦争の中でも生への肯定を強く訴える。
1954年、フランスからの独立運動が高まるアルジェリア。
荒野にポツンと建つ小さな学校で教鞭をとる男にまつわる不条理な数日が描かれる。
ある日、殺人事件の裁きを受けさせるために、一人のアラブ人を町まで連れて行くように命令される。
ここから不条理な出来事が次々重なる。
今も中東やイスラム圏関係のテロがニュースに上ることは珍しくないが、どうしてもわかりづらいこともある。
なぜテロに走るのか。なぜ負の連鎖を止めることはできないのか。
理解するにはアラブの風習やしきたりが関係しているようだ。
彼らは<血の代償>というアラブ暗黙のルールに縛られて身動きがとれない。
この殺人の裁きを受けようとする男の不可解な謎は追々語られるが、何ともやりきれない理不尽な理屈に思う。
元々、<血の代償>も無暗に他人の権利を侵害しないための歯止めだったのではないかと思うのだが、それが悪用されている気がしてならない。
(元軍人とはいえ)非戦闘員である<いち教師>が戦争に巻き込まれる不条理さも戦争のゆがみを感じる。
不条理を味わうもの同士が次第に近づくのももっともな話で、そこには向き合うことでの相互理解という戦争の解決の糸口が見て取れる。
カミュ自身が現地生まれで、アラブ人の完全独立よりもフランス統治の枠の中での自由を望んでいたようだが、当事者たちはどっちつかずは願い下げだったのだろう。
苛烈な戦闘で無意味に命を落とす若者の姿には暗い気持ちにさせられる。
武力が解決しないことは、過去の歴史が教えているのだが…。
原作は未読だが、不条理な出来事を変更している箇所があるらしい。
そこにこそ監督の意思が透けて見える。
“正義”を求め知恵を与えようとする教師ダリュにヴィゴ・モーテンセン。
フランス語に加えアラビア語までとは恐れ入る。
裁きを待つモハメドをアルジェリア系のレダ・カテブが好演。まさに適役と言っていい。
いかなる希望も飲み込んでしまうようなアトラス山脈の絶景に打ちのめされる。
この上映回ではゲストが登壇。
私市正年氏(上智大学・総合グローバル学部・教授。上智大学イスラーム研究センター所長)と中村遥女史(上智大学総合グローバル学部リサーチアシスタント)。
専門分野からの考察や指摘が興味深い。
アラビア語にも方言があり、劇中ではキチンとアルジェリアの表現になっていたそうな。
また、当時のアフリカ地図でフランス領はピンクに塗り分けられる。
本国でも
「バラ色の地図」という言い方をされているらしく、こういった細部の再現も抜かりないとのこと。(皮肉な表現に思えるな…)
余談だが、日本でタレントとして活躍するセイン・カミュは名前から察せられるように、アルベール・カミュを大叔父とする。
別の日のゲストとして登壇したそうだ。
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