『沈黙 SILENCE』
(篠田正浩監督)
年明けにはいよいよマーティン・スコセッシ監督が長年温めてきた遠藤周作原作の『沈黙-サイレンス-』が公開になる。
それに先駆けて1971年の篠田正浩監督作品のおさらいを。
日本でもDVDは発売されたようだが、入手困難なので英国盤(PAL)で鑑賞。
驚く(?)ことに英語の会話も日本語字幕が焼きこんである。
(もしかしたら日本盤のDVDを基にしているのか?)
原作は未読だが、日本人なら知っての通り17世紀(江戸時代)にはキリスト教が禁止されていた。
そういう歴史的事実を踏まえた創作劇。
言ってみれば、信仰か命かの究極の選択。
どこまで信仰心は厳格なのかという問いかけと神の存在についての考察がうかがえる。
21世紀の映画から見ればさほどではないかもしれないが、拷問の酷さは目を覆いたくなる。
肉体的な痛さというよりも精神を痛めつけられる恐怖感が感じられる。
生きるために生活費は必要だが、信仰なくして生きていると言えるのかという信者の厳しい自戒の念は嫌というほど伝わる。
保身に走るキチジロー(マコ岩松)の人間的な葛藤は我々庶民の姿そのもの。
誰が彼を責めることができるのか。
パードレを<転ばすため>の“側室の例え”は興味深かった。
通詞が信者の命を救うために『踏み絵』を「形だけだから…」といって勧めるが、本当に形にこだわっていたのは政府の方だ。
当時としては健闘しているのだろうが、ポルトガル人設定なのに英語を使っている点は惜しい。
監督の妻である岩下志麻も印象深い演技を見せるが、丹波哲郎の怪演に飲み込まれる。
ロケーションの見事さも特筆すべきか。
本作の脚本は監督と原作者の遠藤周作の共同作業であるが、終盤はだいぶ改変していると聞く。おそらく小説はモノローグ多用してもおかしくならないだろうが、映画ではダイアローグで表現した方が自然に仕上がるだろうし、そういう工夫はあったのではないか。
さて、スコセッシ版はどうなっているのだろうか。
実に楽しみだ。
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