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2016年01月11日00:49

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『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』

『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』

 ようやく昨年ヤフオクで、億単位で落としたLDを鑑賞。ww(0.0001億ね)ドル袋
LDは4時間版で、公開は3時間版ということで単純比較はできないが、当時の興行収入がさっぱりだったのはわかる気がする。

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 1961年に映画の元になった実際の少年事件があるという。
監督自身がそれに衝撃を受けて着想のヒントになったらしい。
日本でも時折あるが、凶悪な少年犯罪に学者や精神科医がああだこうだと持論を展開する。
もちろん、その全てが間違っているとは思わないが、小首をひねることもあると思う。

 エドワード・ヤン監督は罪を犯した少年がいかにして<必然>の道を辿ったのかを、当時の時代背景や社会情勢などを踏まえて見せたかったのではないか。

 映画を紐解くためのもう一つ大切と思える要因は、(冒頭のナレーションに表示されるが)台湾における現地人と大陸から渡ってきた人々の違い。
監督の父親も大陸からの(香港を経ての)移住者で、以前から台湾に住んでいた<本省人>に対して<外省人>と呼ばれ区別されていたそうだ。
劇中の主人公スーの一家がまさにその<外省人>一家で、そのことからも映画化の動機につながっていたのではないか。

 小さな地域の縄張り争いの中で、将来の理想よりも現在の生活事情を優先せざるを得ない事情は他人には理解しがたいだろう。
60年前後の台湾にはまだ日本統治時代の遺物も多く残され、プレスリーなどが希望の対象として描かれるのも作品のバックボーンを知る上での手がかりとなる。

 一見すると青春群像劇であるが、単純には切り取れないほど様々なファクターが折り重なる。
それこそが監督の伝えたかったことではないかと思うが、人物は分かりづらい。
名前表記や俳優になじみが薄かったり、固定カメラでロングショットが多いこと、それに加え意図的なライティングを用いないために判別するには骨が折れる。

 尺も長いが、登場人物も多く大半が演技経験のない素人だというのもあり、一度見ただけではスンナリとは理解できまい。
そのために一度目の鑑賞よりは、二度目・三度目の方がより深く心に刻まれるところがある作品ではないだろうか。

(監督自身が決定版とした3時間版の編集を知らないのでハッキリとは言えないが、4時間版は幾分冗漫かもしれない。)

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 さて、3月の米クライテリオン版のマスターの出来やいかに。exclamation ×2
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