都心ではチャンスがなかったが、郊外のミニシアター(アルテリオ)で上映があったので出かけてみた。
何やらいつもと違い、ロビーには聾唖の観客が多い。
開場を待ちながら“おしゃべり”しているのだが、さっぱり分からずに疎外感を味わう。(苦笑)
『
奇跡のひと マリーとマルグリット』
公式サイトにこうある、
「試写会満足度94%」と。
こうしたデータはなにぶんヨイショも入っているので真には受けないのだが、今回ばかりは残りの6%の人に不満足の理由を聞いてみたかった。
誰しもが思うだろうが、<
もう一つのヘレン・ケラー物語>というのは納得だろう。
生まれつき目も耳も不自由なマリー(アリアナ・リヴォワール)と彼女の世話役を買って出る修道女マルグリット(イザベル・カレ)の実話を基にした映画。
実際に聴覚障がい者であるというアリアナ・リヴォワールが14歳まで何一つ教えられることがなく育ったマリーを演じる。
木漏れ日の中で手を差し伸ばす穏やかな表情とは別人のように、聴覚障がいの少女たちが暮らす修道院(ラルネイ聖母学院)に連れてこられたマリーは野獣のような振る舞い。一気に緊張感が走る。
自身は健康に不安を抱えながらも、献身的にマリーに世話を焼くマルグリットの姿には素直に心打たれる。
人間は子孫を残すために努力しても、必ずしも結果が結び付くとは限らない。しかし、子供に恵まれない状況でも「思いを伝え残す」ことを考える生き物。
「神の啓示があったから…」とマルグリットは伝えるが、クリスチャンでない私なぞにはピンと来ないところもある。
だが、彼女の行動を<生殖性>と解釈すれば理解はしやすくなる。
余命が短いと認識していることもまた強い使命感につながったと思われる。
教育と言っても繰り広げられるのはほぼ<格闘技>の世界で、世の介護職にしても体力と根気が必要なのだと思わされる。
もし自分がマルグリットの立場ならどうしたか?
言葉を教える手順は妥当に思えるが、「死」や「神」という概念を教えられる自信はない。
いや、それ以前に言葉という概念をどう教えよう…。(汗)
生も死も等しく受け入れる。そこは障がい者も健常者も差はない。
つくづく正しい教育の大切さを思い知らされる映画だった。
目も耳も不自由だったマリーだが、<希望の光>だけは最初から感じ取れていたのを知る。
チクショウ、誰だ。劇場内で玉ねぎ刻んでいるのは、しかも大量に…。(苦笑)
ログインしてコメントを確認・投稿する