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2013年11月01日00:56

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『愛を語るときに、語らないこと』

東京国際映画祭2013

『愛を語るときに、語らないこと』(ワールド・フォーカス)

 ハンディキャップはないに越したことはない。
しかし、ハンディがないから幸せになれるわけではない。
ハンディがあってもなくても、人の幸福はそれぞれなのだ。

 インドネシアの盲学校を舞台に繰り広げられる男女恋愛群像劇。
上手いこと相思相愛になれればいいが、そうそう甘くないのはハンディの有無に関わらず誰もが体験しているだろう。

 ユニークなグラスをかける弱視のディアナはマンディカが好き。ハート
でも、マンディカは元カノが忘れられないといった具合にじれったい三角関係が展開する。失恋
全盲のフィトリが恋焦がれる相手が聾唖の青年という組み合わせが新鮮に感じる。
これが健常者同士…あるいは全盲同士だと考えられないすれ違い表現が見られる。
(どうやって互いの思いを伝えるのかがアイディアもの)

 監督と脚本のモーリー・スルヤは実験的試みをしている。

 「もし目が見えたら…、もし耳が聞こえたら、彼らは同じ幸福を味わうことが出来るのだろうか」
唐突ともいえる<健常者シーン>で、一瞬「おやっ?」と思うがそういうことらしい。
ハンディがあるから伝わることもあるのではないか?
少々乱暴だが、そんな問いかけをしているのだ。

 思えば、健常者である自分も甘えて気楽に<送受信>しているのではないか。
少し反省も込めて、キチン生きないとならない気がしてくる。
カラフルなケーキの登場シーンに監督の想いが象徴されている気がした。
このカラフルさこそ人生の喜びや悲しみなどを表現しているのではなかろうか。

 ハンディがあってもなくても青春に変わりはない。
そんな愛おしい彼らを音楽はやさしく包み込み、いつの時代でも通用するテーマをインドネシアの監督は高らかに謳いあげる。

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上映後にはスタッフが勢ぞろいしてQ&Aが行われた。

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編集、ケルヴィン・ヌグロホ
音楽、ゼケ・ハセリ

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監督&脚本、モーリー・スルヤ

フォトフォト
プロディーサー、ラマ・アディ&ファウザン・ジドニ

 なんでも監督が子どものころに身近にハンディを持つ子どもがいて、それが頭に残っていたということ。
主要5人のキャスト以外は本当の聾唖の生徒をキャスティング。
「盲学校という小さなコミュニティでも、外の世界と同じなんだということを伝えたかった」そうです。
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