今年最初の劇場鑑賞作品。
…といっても新作ではない。
1985年のイラン映画『
駆ける少年』。
生き馬の目を抜く世知辛い世の中では、全ての生存競争が正当化される。
貧しきものは僅かなチャンスでも物にしようと必死だ。
空き瓶ひろい、水売り、靴磨き…家庭環境に恵まれず、まともに教育も受けていないアミル少年にとって、ありとあらゆることをしても得られる報酬は高が知れている。
それでも…いや、それだから見果てぬ希望が広がる異国に思いを馳せて、少年は明日に向かってひたすら“走り”続ける。
少年の名前からもアミール・ナデリ監督の少年時代が投影されていることは容易に察しがつく。
ともかく走る、走る、走る。命の爆発を見るようなまっすぐに走る姿が脳裏に焼きつく。
筋立てよりもどこまでも映像的であろうとする姿勢と
アミル少年のいかに貧しくともまっすぐ生きて、絶やさぬ笑顔に心を鷲づかみにされる。
利己的勝利への固執から脱却した後の世界にみる境地こそ称えられるべきか。
実に“あつい”映画だ。
会場にはアミール・ナデリ監督がいらしていて、パンフ購入者に快くサインに応じていた。
私もサインと握手をしていただいたが、氏の大きく暖かな手のぬくもりが伝わる。
(…あ、そっちの趣味はありません、念のため。

)
ところで、客席にいたトルコ人の会話を小耳に挟んだ。(←美人さんでした

)
4年間、日本に留学されているということで、割と流暢な日本語で語られた内容から「
トルコ語と日本語は文法が似通っている」というもの。
少し驚いたが、調べたらこういう記事もある。
http://www.lang.nagoya-u.ac.jp/nichigen/0-kyouiku/research/kotoba/19/07kareri19.pdf
単語は違うが置き換えでかなり会話できるようになるのか?
トルコは親日で知られるけど、逆に親トルコになりそうだ。(けっして美人さんだったからというわけでは…ごにょごにょごにょ…)
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