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2018年09月11日22:32

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浪人街

『浪人街』
マキノ版に比し、よりルンペンプロレタリアート的になってるのは黒木的な現代性か。上層に対して不満を抱え燻ぶり遂には爆発する傾向映画的リベラル大衆性ではなく、かつては運動に身を捧げながらもなにも実現せず燻ぶり続ける怒りが、したいことしたり顔で欲望吐き出す1990年に爆発しているかのような剣劇である。そして燻ぶりは、浪人たちだけではなく人斬り旗本たちにも表されているはず。されど、郷愁を表し様々な地方弁取り入れ、中央集権化との軋轢を描きながらも、その32年後に明治政府が生まれ侍の時代が終わったとするのは、こうした時代がかつてはあったとしてなにか侍ときめきメモリアルに終わっちゃっていて、現在性との断絶を生んでいるようにも思える。が、黒木和雄は確固たる時代性を刻ませ、そのレクイエムを打ち立てたのちに、現在という位相を表そうとしているのではとも思える。思えば、写し取り並び替える映画というメディアは、そうした性格をそのまま持ちえ表しているのかもしれない。位相であるからこそ、想いが伝わりやすくなる。スターウォーズしかりマトリックスしかりである。そうしたうえで、普遍性は確立されるように思わせる。『浪人街』、そのこと想わせる。

勝新のナチュラルな間合いは長門裕之を凌駕している(選ばれたテイク、勝新がいいのが選ばれてしまったのかもしれない)。原田芳雄の間合いもよいが、色気とルンペン風情、豪傑ぶりと厭らしさを兼ね備えた魅力を彼はこの作品では上手く発揮する。笑止千万で卑怯な悪役演じることが多い石橋蓮司であるが、ここでは七人の侍の久蔵的なクールさを兼ね備えストイックに表しカッコよい。そして、豪快に存在する勝新ともども、田中邦衛のシャイであり朴訥でありながらも飄々としたオモシロさ編み出す魅力と、樋口可南子の宮尾登美子や家田荘子の向こうを張って時代性にそった啖呵キル美しさは、この作品の支柱となっていること忘れてはならぬものである。




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