『女衒』
シリアスな緒形拳もいいが、拳はそもそもその人間味あるキャラが太閤記の頃からも滲み出ているのであり、冷酷なことをしでかすことのギャップが『鬼畜』以降からの魅力として発揮されていたのである。だからして、やはり太閤記に表されるようなサルが彼の人間味が活かされる本来の魅力なのであり、この作品では彼のそうした魅力が十二分に発揮される。イマヘイのいつもの重喜劇に比すれば、軽やかなセンス。しかしながらも、言わんとすることはやはりヘヴィーざんす。愚直なまでに明治天皇を信じる村岡伊平次、富国強兵を信じカラユキ勤しみ子沢山を励むの元を正せば、大日本帝国軍人からマインドにインプットされたイゲオロギー、愚直なまでに哀しく笑い生むものである。エロく哀しくエナジェティックに人間味ある男は、日の丸とともに生きている。彼はそれを背負ってると思っているが、国も誰もそうは思わない。日本人である彼は唯々、自ずと日の丸とともに生きている。バブルに突入した時代に、日本人であることが外連味たっぷりに表される。安保闘争の時代に入った日本大帝国が『豚と軍艦』で問われていたように、『女衒』はまた別の、しかし地続きに続くニッポンがバブリーにして問われる。
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