御仏は人のそばにいてくださいます。下手をすれば(こういういい方は変ですが)心の内におわします。ちょつと表現はおかしいのですが、キリスト教におけるイエス様と少し似ているような気がします。もっと変なことを言うならば、イスラム教というのは仏教の禅宗に似ています。戒律や修行やその生き方にも禅宗はイスラムの教えに近いような気がします。こんなことを書いたらきっと両方の信徒の方に叱られるだろうなぁとは思います。申し訳ありません。
御仏は人の心の内から生み出されたものかもしれません。お釈迦様は全ての生き物に仏性はあるとおっしゃったとか。善悪というのは人の考えた倫理の基準ですので、御仏はあまりそういうものにこだわってはいないように思います。生き物全ての「生きよう、生きたい、命を繋げたい」そういう思いから生ずる行為は「全て善(よし)」とされているように思います。蛇が噛むのも、蜂が射すのもそれは善なのだということです。
人が生きたいと願うことを御仏は全力で助けようとしてくださいます。それが御仏の思いであると私は解釈しています。だから御仏は人の行為のあらゆることをほとんどお許しになられます。行き過ぎはたしなめる場合もありますが、基本は愛することになります。そういう御仏の思いを人は心の内に深く理解して生きて行くことが仏教の目的のように思います。
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