正観、制欲、生活である。
身体は執着を生む。魔性である。
無知は、愛をねじくらせ、自我をゆがめる。
無知は有感、誤解、信条など、
法を破る。
正観は、少しづつ知恵ある生活にしていく。
諸法無我、縁起、空など。
段々と執着が落ちていく。
また、魔性は欲と結びつく。
自ずから、制欲である。それは聖なる事。
故に人は、魔性と聖性を併せ持つ。
生活とは、人間らしい働きと休息である。
刺激過多な現在においては、静けさや、掃除など、
恬淡なものが望ましい。
その生活は積まれ、智慧や制欲、徳に還元される。
仏の教えは、要は、知見にある。
見方である。
知見によって、すべてが変わる。
故に、八正道がある。
上記の生活は八正道である。
そして、智慧が深まり、解脱する。
人には、聖性もあり、慈悲喜捨も自ずから具わる。
故に総てを捨てる心を持てるのだ。
八正道は、ついには、総てを捨てる。
それが、仏教の答えである。
魔性との戦いでもある。
魔性は、欲と無知、愛、願望などだ。
そして、智慧と慈悲、喜捨の心で戦う。
その先に涅槃がある。
勝利の静寂である。
己を見詰めるのは、すべてこのためなのである。
深い禅に導かれ、
これらを知ることができたのは、感謝である。
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