氣視させていただいていると、時々「竹林」のようなものが視えることがあって何なのだろうと思っていました。何かを象徴しているのだろうとは思っていましたが、これが視えるときは大抵氣視がうまく行かないというか、内容に納得してもらえないことが多いことが共通するくらいでした。
しかし先日やはりこの竹林のようなものが視えたときに何となく意味が分かったような気がしました。これはその方が本質的に霊的なものを信じていない場合に視えるものなのではないかということです。
竹林というのは「静寂・冷静・賢」というようなものの象徴なのだろうと思います。科学文明・物質文明優先のいわゆる理論的な説明を至上と思っておられる方達の霊的な魂には竹林が視えるのではないかと思えます。常に醒めていて科学で説明できるものが唯一と思っておられる方がたまたま何かの気まぐれで当院のような霊的なお話の場所に来られたというわけです。
だから視えたものを説明されても納得はされない、首をかしげている状態になるわけです。でももしかしたら私の力が足りずに間違った推測なのかもしれません。単に極端に私と相性が悪いだけなのかもしれません。そういう事も考えられなくもありません。また疑い深い人だと氣視がとても難しいということもありますから、何か別の原因があるのかもしれません。
しかし何となく竹林が視えるときはもう少し魂の奥に踏み込んで氣視を今度はしてみようかと思います。何故なら竹林には「虎」(トラブルの象徴)が良く似合うのですから。
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