何だか軽井沢のような高級別荘地があるような高原の綺麗な林の中にその建物はありました。
こんな土地に多くの縄文人が暮らしていたのかと思いつつ、考古館へ入りました。
そして待望の仮面の女神や縄文のヴィーナスとの対面を果たしました。像から感じられるものは「母性」と「呪にまつわる儀式」でした。
でも氣視してみると全く別のモノが視えました。それは「人喰い」。何故この像からこんなおぞましいものが視えるのか本当に疑問です。
疑問と言えば、このあたりから出土されている縄文土器の全てに施されている装飾の見事さ、異様さです。到底私などにはどういう意図で施されたものなのか想像すらできないほど繊細で大胆で、精神構造が根本的に現代人とは違うのだろうと思いました。
黒曜石が大量に出土しているのも特徴的で、鏃(やじり)として使われたり、刃物としても使われたのだろうと思います。そして「尖石」という地名の元になったのもこのせいかもしれません。
弥生時代になって稲作などが少しずつ行われてきて、食糧生産が安定してきた時代とは違って縄文時代は狩猟採集の形態が社会の基本構造でした。その時代には「食物」と「水」の確保が命をつないでいくのには一番大切なものでした。土偶にはそういう生きていた人達の思いが詰まっているのかもしれません。
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