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2014年09月04日23:55

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二人のミリアム

美波さんと江波さんの二人芝居となる「ミリアム」場面は、
他の場面とはまた違った輪郭を見せて、非常に興味深かった。

<映画館>
映画館の前で老婦人を呼び止め、
映画のチケットを買って一緒に入ってほしいと頼む少女。
ショートカットのボーイッシュな女の子と、
優雅で雰囲気のある老婦人との対比が面白い。

原作では、平凡で目立たない61歳の老婦人だけれど、
江波さんは悲劇のバレエダンサーだとか、美しい女優など、
華やかな過去を語った台詞をその場面までに積み重ねているし、
観ているだけでもエレガント。
おまけにさばさばした口調なので、
みじめさや湿っぽさはなく、小気味よいほど素敵でうっとりする。

美波さんのミリアムも、
基となった短編小説ほど奇妙な少女ではなく、
どこか憎めない愛嬌がある。
「もうひとつお願いがあるの。
あとでポップコーンも買ってほしいの」という時の、
ちょっと緊張して、思い切って頼むような調子と、
「いいわよ」と言われて、声に出さず、
くくく、とくしゃっと笑うようにするところ、
あきらかに愛情に恵まれていない子のようにも思えて、
なんだかいじらしくなってしまう。

そんな二人が並んで見つめるスクリーン。
「…あら、あれ、私だわ」
「ほんとだ!…きれい…覚えてるの?」
最初婦人は嬉しそうで、
少女も画面と彼女を見比べ、ぱっと笑ったのに、
くっ、と婦人の表情が変わって、みるみるうちに涙が頬をつたう。

何も説明はないけれど、なんだか分かるような気がする。
きっとスクリーンに映し出されたのは、とても若い頃の姿だろう。
その輝くばかりの姿に、来し方の様々な思いがこみ上げて来たような。
彼女の頬の涙を指でぬぐって寄り添う少女。

映画館場面で演奏される曲は「effacing sketch」。
「消滅しつつあるスケッチ」とでも訳せるのだろうか。
本当に古い名画の名場面にでもかかりそうな、
哀愁のある劇的な曲調と相俟って、心動かされる。
ここはいつも、涙ぐむような気持ちになった。
第一幕はここで幕を閉じる。

<入れ代わり立ち代わりのミリアム>
二幕目の後半。
雪の夜、突然老婦人の家を訪ねてくるミリアム。
なんとこの時、少女ミリアムを演じるのは江波さんで、
少女を迎え戸惑う夫人を美波さんが演ずる。
第一幕で二人がそれぞれ演じた口調をお互いがなぞるように、
江波さんが「デヘヘヘ…」などと笑うのが可笑しくも可愛い。

それぞれが部屋を出るたび、二人の役柄は切り替わり、
しまいにはただ机に突っ伏したり、うつむいたりするような、
簡単なきっかけでスイッチされるミリアムと婦人。
「あなた、名前はなんていうの?」
「…ミリアムじゃない!」
「あら、私もミリアムっていうの」
「ふふ…」
「ふふふ」
「ハロー」
「ハロー」

名前を問うやりとりは、一幕目にもあるけれど、
最後が、二人が微笑み合うような終わりでほっとした。
少女ミリアムは、老婦人ミリアム自身なのか、
合わせ鏡のような存在なのか、
原作短編はもっと怖い感じだけれど、
ここでは和合しているように見えた。

ちなみに、この次の場面の為に片付けられるモニター
(ミリアムが家に上がり込んでみていたTV画面)を、
少しの間、片付け役のバレエダンサーが見つめている。
初日にはその画面を観る余裕などなかったが、
最後にこの画面には美波さんの顔→江波さんの顔→美波さんの顔、
というように、二人の顔が変容してゆくのが映っていた。

<ミリアムという名前>
Miriamという名は、Maria(マリア)という名の基でもあるらしい。
「子供の為に祈った者」「憎らしい者」「反抗的な者」など、
さまざまな意味があるとか。
偶然かもしれないけれど、このスペルの中には、
Mir(ror) 鏡
i     私
am  〜である
という語が含まれていて、
鏡に囲まれた万華鏡のようなこの世界に似つかわしい。
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