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2010年11月06日22:59

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さようなら佐野洋子さん

11月5日午前9時54分、
乳がんのため東京都杉並区の病院で死去。
享年72歳。
勤務中に訃報を知って、「あの佐野さんが…」と思いに沈んだ。

ニュースはどれも『100万回生きたねこ』(1977)の絵本作家と伝えていて、
もちろんこれは一番知られた作品だし、私も忘れられないけれど、
佐野さんのエッセイ、というか文章はすごく印象的で好きだった。
ユニークな表現で、ずかずかと核心に迫るような率直さ。
『私はそうは思わない』(1987)だとか、
『あれも嫌いこれも好き』(2003)だとか、
タイトルからしてすぱっと思い切りが良く痛快な感じ。
でも一昨年出た『シズコさん』(2008)
http://www.shinchosha.co.jp/book/306841/を通読した時は、
たいへんなものを読んでしまったと思った。
シズコさんとは、佐野さんのお母様のこと。
自分を愛してくれなかった母との相克が骨太に描かれていて、
ただただ圧倒されるしかなかった。
これをこんなふうに書けるなんてやっぱりすごいひとだ、と。
佐野さんの言葉には嘘がない。

今は廃刊してしまった月刊誌『広告批評』に、
佐野さんと、その頃はご夫婦だった谷川俊太郎さんとの対談が載ったことがある。
(「言葉で考えること絵で考えること<対談>」1992年4月号 no.149 p.79-99)
この対談もとても印象的で、佐野さんはとりつくろわず正直なひとなのだと思った。
二人きりで話しているのではなく、進行役として天野祐吉さんも加わっている。
対談中、谷川俊太郎著/佐野洋子絵の詩集『はだか』(1988)
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480802750/
についても語られているのだが、詩の素晴らしさもさることながら、
筆でさらっと描いたような佐野さんの絵は強烈に焼き付く。
少しあちこちを引用したい。


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天野 確かに佐野さんの描かれる絵は、ある物語に絵をつける、
というものじゃない、絵自体が物語を持っていますね。
谷川 そう。人間を描けば、その表情である心理を描こうとする。
だから、きれいきれいに描けばいい、というのとは全然ちがって、
言葉と絵が微妙に結びついてる絵だと、僕は思うんですね。
                         (p.84)
------------------------------------
谷川 ここで正直に告白すると、この中の詩は、
ほとんど佐野洋子からのいただき、なんです。
天野 ほほう。
谷川 この人の書く絵本とか子供時代の思い出とか、
そういうふうなものに僕が強くインスピレーションを受けて、
影響されて出来たのが、この詩集だから。
だから、この人、たぶん腹立ててるんだじゃないかな。
天野 どうしてですか。腹立ててます?
佐野 うーん、この人はね、私の文体を盗んだんです。
私は一つしか、その文体しか持っていなかったのに。
子供のときのことを物語にして書いた本があるんですけど、
この人はそれよりずっと簡単に、はるかに効果的に子供の世界を書いてしまった。
だから、この詩を読んだときも、最初はすごいショックでね。
これで詩がよくなかったら腹が立ったかもしれないけど、
やっぱりさすがにいい詩だと思ったものだから、こりゃしようがないやって。
                        (p.85)
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谷川 中身が濃いんじゃないですか、この人のほうが。
僕は中身が薄いんだと思う。
この人、僕のこと単なる管(くだ)だって言うんだよ。
まあ、ある意味ではほめてるんだけどね。
モーツァルトも管だったっていうのが、この人の意見だから。
あれは、中身は何もないんだって。
天野 ああ、なるほど。
谷川 単なる中空のパイプ。神からインスピレーションを与えられて、
モーツァルトというパイプを通ると「ジュピター」が出てくるという、
ほとんど自動販売機みたいなものですね。
天野 それはなかなか名言だと思いますが、それに対して、
佐野さんは管じゃないんですか。
佐野 私、管がないんです。(笑)
谷川 全部ウンコが詰まってる腸みたいな存在。
佐野 キタナイわねえ。(笑)
天野 でも、管がないっていうのはすごいなあ。
メディアじゃない、存在そのものなんだ。
谷川 もちろんそうですよ、この人は。
                        (p.94)
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佐野さんからインスピレーションを受けて出来た作品だという、
この『はだか』中の、「さようなら」という詩も掲載されていて、
これがまた、読んでいてなにかただならず心がふるえるような詩。
かばんをたすきがけにし、帽子をかぶった半ズボンの男の子が、
正面を向いて敬礼しているような、佐野さんの手になる絵が添えられている。
佐野さんの訃報を知った時、何故かこの絵がぱあっと目に浮かんだ。
だから、この詩を引用してお別れしたい。
さようなら、佐野さん。
ありがとうございました。

「さようなら」

ぼくもういかなきゃなんない

すぐいかなきゃなんない

どこへいくのかわからないけど

さくらなみきのしたをとおって

おおどおりをしんごうでわたって

いつもながめてるやまをめじるしに

ひとりでいかなきゃなんない

どうしてなのかしらないけど

おかあさんごめんなさい

おとうさんにやさしくしてあげて

ぼくすききらいいわずになんでもたべる

ほんもいまよりたくさんよむとおもう

よるになったらほしをみる

ひるはいろんなひととはなしをする

そしてきっといちばんすきなものをみつける

みつけたらたいせつにしてしぬまでいきる

だからとおくにいてもさびしくないよ

ぼくもういかなきゃなんない

(谷川俊太郎詩集『はだか』より)
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