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2009年01月05日15:29

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新潟旅行覚え書き(2008年5月17日〜5月18日)

旅の主目的:山本耕史主演「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」
新潟りゅうとぴあ公演

前夜新宿から「ムーンライトえちご」に乗り込み、目覚めると新潟入りしていた。
明け初めた空に、紫の桐の花。田植え途中の田圃。
寝台車ではない、こういう昔ながらの夜行列車の旅は好みだけれど、
この列車も臨時のみ残してダイヤから消える。さみしいことです。

5月半ばの越後の地は、明るく清冽で気持ちが良かった。
到着は朝5時台。駅近くのファミレスで鮭定食を食べた後、
静かな目抜き通りを信濃川のほうへ歩き、
町が動き出すまで万代橋の近くの川辺で座っていたら、
あまりに気持ちが良くて、草の上で寝てしまった。
商店街を歩いて古い建物の写真を撮ったり、水上シャトルバスに乗って川を下ったり。
私好みの建物があちこちにあって嬉しい。

ふるさと村でお昼を食べてから、りゅうとぴあでヘドウィグ観劇。
「りゅうとぴあ」というホールの名前が、新潟に柳が多く植えられていて、
「柳都(りゅうと)」と呼ばれていたことから、という由来を初めて知る。

終わったあと、新潟ラーメンを食べ、市役所近くの銭湯に入る。
東京に比べるとかなりちっちゃいつくりだけれど、
午前中市内を歩いたとき、ふつうの家みたいなつくりの銭湯が多いと感じたので、
風呂屋として一軒構えのここは、まだしも江戸の銭湯に近い感じ。
時間帯のせいもあるのか、入浴客の年齢高し。
「今日はオーラの泉があるさけ」と急いで帰って行ったおばあちゃんがいたな。

市役所近くに「愛」という幟がたくさんあるので何かと思ったら、
翌年の大河に決まった「天地人」の主役、直江兼続関連だった。さすが地元。
日没までさらに商店街を歩く。軒先が深いのはやはり豪雪地帯を思わせる。
私好みの古びた町並み。全国の商店街が私を待ってるような気がする。
宿は長岡に取っていたので、日が落ちた後、各停電車で一時間ほどの長岡に移動。

翌朝は早々に長岡市内の史跡を歩き回る。
軒先はやっぱり深く、ここにも兼続主役の大河宣伝で「愛」幟がたくさん。
長岡城は残っていない(跡地が長岡駅)けれど、二の丸後の神社などにも行く。
ここは幕末戊辰戦争で有名な河合継之助関係の史跡が多いけれど、
他にも山本五十六の記念館などもあり、新旧いろんな戦のことを考えてしまう。
古めかしい教会が目に付いた。教会がやっている「天使幼稚園」もあり。

五十六の墓のある寺まで足を伸ばしたら、
同じ墓所にフランス文学者の堀口大學の墓もあったので驚いた。
「泣き笑いしてわがピエロ/秋じゃ!秋じゃ!と歌うなり」という
『秋のピエロ』という詩は、合唱曲にもなっているのでなじんでいた。
思いがけずお墓を知って、手を合わせる。
行き帰りの道にある民家は、玄関先が立派なものが多い。

河合継之助記念館や、その墓所にも詣でる。
記念館はまだ新しく、ガトリング砲などが展示してあった。
数年前にドラマ化された時、継之助を演じた勘三郎さんの写真パネルもいっぱい。
河井継之助・山本帯刀などの遺品を展示している如是蔵博物館は、
時間が止まったようなところだった。

駅弁を買い込んで、やってみたかった各停列車乗り継ぎで帰途に着く。
新幹線なんか乗ったって、山ばかりだからトンネルだらけだしつまらないもの。
水上までの路線は乗客も少ないし、
向かい合わせの席をまるまる一人で独占て足をのばし、
景色を眺めているのは最高だった。
スキー場もあるようなところだから、山にはまだ雪が残っている。
冷え込むけれど、景色はとても綺麗。
日本はなんてうつくしい国だろうと思う。

水上〜高崎もなかなか良かった。
「国境の長いトンネルを抜けると雪国だった」という川端康成の『雪国』に
出てくる「長いトンネル」というのは上越線の清水トンネルだということだが、
本当に何分も何分も暗闇が続き、長い長い時間を体感した。
国境とは上野国と越後国の境のこととか。

高崎でもう一度乗り換え。名物のだるま弁当を買ってみた。
ここからはもうざわざわした雰囲気で、東京の通勤圏なのだなあと思う。
6時間ほどかけての帰京。こういう旅がまたしてみたい。
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