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2008年05月14日02:29

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日野詣で(5月11日)

週末はお天気がぐずつき、ぐっと冷え込んで、
ちょと疲れもたまっていたこともあり、お出かけを控えていたのだが、
11日の日曜日のお昼頃、ようやく雨があがったので食事をすませてから日野へ。

例年この時期には新選組まつりが行われるのだけれど、
今年はちょうど土方歳三の命日にもあたるので、
せめてお墓参りだけはしようかと。
京王線の高幡不動駅に着いたのはもう午後二時。
出かけるのが遅かったので、人が少ないのはかえってありがたい。
多摩モノレールに乗り換え、ひとつめの万願寺駅から石田寺へと歩く。

<とうかん森>
途中のとうかん森にも立ち寄る。ここは好きな場所。
ここだけぽかっと残っている、狭いながらも濃密な空間。
土方家の氏神として祀られた稲荷神社の跡。
湿った土の匂い。
この樹々は幼い頃の歳三を知っているんだろうな、と思うと
いつも不思議な気がして木肌に触れる。
見上げるほどに生い茂ったムクノキ、カヤなどのあいだに、
大蛇のように太くうねるフジの木があって、
はるか高みから落ちたのであろう薄むらさきの花びらが、
色褪せて地上にちらばっていた。

<石田寺>
石田寺は静かだった。
ここにも門のうちに立派なカヤの木がそびえている。
今年は140回忌とのことで、多分たいへんな数のひとたちが訪れたことと
思うけれど、私が訪れた時には、三〜四人のかたがいらしただけで、
ゆっくりと拝むことが出来た。
たくさんの花々に埋もれるような洋装土方の写真に向かい、お焼香。
ここがいつまでもお参りできるような場所でありますよう。

<土方歳三資料館>
来た道を引き返し、生家跡の土方歳三資料館へ。
http://www.hijikata-toshizo.jp/index.html
この時期だけ展示される、歳三の遺品・和泉兼定の刀身を
眺めるひとたちの列はなかなか動かない。
やはり本物の持つ重みを感じて、皆目が離せないものだろうか。
それでもピークの時間はやはり過ぎたようで、
そんなに時間がかからず回れたのは幸い。

グッズ売場では和泉守兼定の刀絵図も二千円で販売されていたけれど、
思わず購入してしまったのは、「生家・土方歳三資料館限定販売」と
銘打たれた洋装土方スタイルのキューピー人形!
http://toshizo.cart.fc2.com/pict.php?pic=..//user_img/t/toshizo/26_1_33.jpg
限定ものに弱い私は即決で購入してしまった。
(ミーハーですみません。でもHPからオンラインでも買えるようです)
洋装スタイルは函館でも売り出したことがあったようだけれど、
もう品切れなのかもしれない。

<甲州街道>
万願寺駅からまた一駅だけ乗って甲州街道駅で降り、
車道をひたすらに日野駅方面へと歩く。
あまり目立つものはない道だけれど、それでもところどころ
古びた石造りの蔵があったりして、その外観を撮影したり。
せっせと10分ばかり歩くと日野宿本陣。
ここはいつも居心地がよくてたいてい立ち寄るけれど、
本日は井上源三郎資料館(閉館16時)に行かねばならないので、
先をいそぐため残念ながらパス。

<井上源三郎資料館>
今回、見ておきたかったのは、源三郎の首を埋めたとされる
京都伏見の寺の位置が確認されたとのニュースに関連した、
その寺の古地図と現代の付近の地図の展示。
鳥羽伏見の戦いで戦死した源三郎の首は、一緒に参戦していた
甥の井上泰助が持ち帰ろうとしたが、その重みに耐えかね、
宇治川を渡る手前で寺の門前に埋めたという。
その場所は長く不明とされていた。
それが、没後140年もたった今年になって、判明したというのだ。
http://www.hinocatv.ne.jp/~i-genzaburo/
「井上源三郎資料館→源三郎埋葬地を訪ねて」

このことは、マイミクのエリさんがご自分のブログで記事にされていて
知ったのだが、本当にこんなに時間がたってから分かるなんて、と驚いた。
その場所のことも知りたかったし、限定公開の資料とのことで
出来ればこの機会に、と思っていた。
埋葬地は欣浄寺(ごんじょうじ)。これはたまたま井上家のすぐ前にある
寺と同名。京都のその寺は明治期にはもう廃寺になっていて、所在地が
わからなくなっていたそうだし、泰助からその名を聞かされて、
埋めたのは欣浄寺という寺だと言っていた子孫のかたも老齢となり、
なまじ同じ名前だっただけに、家の近くの寺の名と混同しているのでは
ないかと誤解されて、不明とされていたのだそうだ。

今回展示された古地図は、なかなか大きなもので、淀城を囲むように
流れる木津川や桂川が描き込まれている。その近くに欣浄寺があったのだ。
大きな川は綺麗な青に塗られ、水際の松の緑など、見ていて面白かった。
古いものではあるけれど、確かな手触りが感じられる。
これは伏見の妙教寺というお寺から借り受けた資料だそう。
「じゃあ展示されるのは、今回だけでしょうか」と伺うと
「ええ、オリジナルは妙教寺にお返ししますが、
複製をとってまた展示の機会を作りたいですね」と説明の方。
「一度くらいここへ行ってみたいですね。最寄り駅は?」
「淀駅になります。でも、このあたりは分かりにくいですよ。
川の流れも変わってしまっているし、目印もあまりありませんから」

同じガラスケース内には、このあたりに対応する現代の住宅地図の拡大図もあった。
該当場所は伏見区納所町の長谷川ガレージの端っこのほう。
淀小橋旧跡だとか、納所小学校だとか、近くの目印になりそうなところを
頼りに歩くしかないのだろう。
それでも、こういう資料の突合せで場所が判明したということに
やはり感動してしまう。
偶然が重なって必然になる。何かの力が働いているとしか思えない。
資料館館長の井上家ご当主がその場所の土を持ち帰られ、
今年9月に行われる源三郎140回忌に供えられるとのこと。
外に出て、資料館前に見える「欣浄寺」という寺名を刻んだ石柱に
改めてはっとした。本当にいろんな縁があるものだなあ。

<八坂神社>
すぐ近くの八坂神社で特別公開中の天然理心流奉納額も拝見。
閉じられる間際でかけこみセーフ!
これももう何度か見ているけれど、残念ながら土方が正式入門する前の
年とのことで、彼の名はない。
(住んでいた区域が違うから記されていないのだと言う説もあるとか)
でも井上源三郎、沖田惣次郎、近藤姓に変わる前の勇などの名は記されている。
見事な彫刻の本殿をぐるりと回ってゆくと、2003年に山本耕史くんが
ここに来た際に書いた絵馬が一枚さがっていて、そのつど胸がきゅんとする。
「平成の土方歳三」まさしくそうだった。

<日野新選組ふるさと歴史館>
日野市役所方面への急な坂を駆け足でのぼる。
新選組のふるさと歴史館で開催中の特別展
「新選組 戊辰戦争のなかで」を見るために。
http://www.city.hino.tokyo.jp/shinsenr/

会場には藤田勉氏作曲のイメージ音楽「新選組 戊辰戦争のなかで」が流れ、
なんだかしめやかな気分で資料をながめた。
古い資料の保存のため、照明が落としてあるから余計にそんな気分に
なったのかもしれない。
流山、宇都宮、奥羽越列藩同盟のなかで長岡城の戦、会津、仙台、箱館…
北へ北へと転戦してゆく新選組の歩み。

長岡城の炎上を表すように赤く染まっている絵図を見ながら、
ああ、私、来週は長岡に行くんだなあ、とようやくその気になってきた。
そちら方面へ行くのは耕史くんのヘドウィグ新潟公演を観るためなのだが、
せっかく行くのだったら長岡に回って戊辰戦争の史跡も見てくれば、と
Kさんに言われてその気になり、長岡市の観光課に電話してみたら、
史跡めぐりガイドのパンフレットがどっさり送られて来たのた。
ちょっと頭をこちらモードに切り替えなくては。
(とは言え、ヘドウィグを見てしまったらまたもとに戻ってしまいそう)

<宝泉寺>
坂道を下り、日野駅へ。
駅手前で左に折れ、源三郎の顕彰碑とお墓のある宝泉寺へお参り。
外へ出て、線路沿いの坂を振り返ってみると、
花をいっぱいにつけた桐の木が見えた。
綺麗な釣り鐘状のうすむらさきの花。
日野という地では結構目にするような気がする。
日野の渡し跡に向かう道の手前にも、見事な大木があったっけ。
雨でしっとりと濡れたあとの色は格別綺麗。
5月は緑深い季節だなあ、と思いながら帰途についた。

*写真は石田寺門内の狐像、桐の花房、甲州街道沿いの蔵窓
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