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2006年11月14日22:10

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落語会ふたつ(吉弥さんの「たちきれ」/志の輔さんの「茶の湯」)

ひさびさの落語会は、たまたま二日連続となった。
12日午後は浅草見番会館で「桂吉弥のお仕事です・冬」。
13日夜は志の輔さんの「巣鴨四丁目落語会」。
落語の通というほどでもない私が必ずと言っていいほど足を運ぶのは、
上京の際の吉弥さんと、巣鴨での志の輔さんくらい。

雀五郎さんの『初天神』のあと、
吉弥さんがかけたのは、『はてなの茶碗』と『たちきれ』。
わらしべ長者のお話のように、かかわる人によって価値がどんどんあがってゆく
傷もの茶碗のお噺は楽しかったけれど、『たちきれ』は本当に泣かされた。

うぶな若旦那が色里でおぼこな芸妓・小糸と相思相愛になり、
あまりに入れあげて通い詰めるので、親族会議によって百日間蔵に閉じ込められる。
その間何も知らない小糸は切々とした文を書き送り続け、
ついに焦がれ死にしてしまう。
そんなこととは露知らぬ若旦那はようやく蔵を出され、
とるものもとりあえず訪れてみると、そこにあるのは彼女のお位牌。
その日はちょうど彼女の三七日(みなのか)で、朋輩衆もお線香をあげに来ている。
若旦那の足が絶えてた間に、二人の紋を一緒に入れた特別誂えの三味線が届いており、
小糸はその三味線を弾きかけたままこときれてしまったのだ。
皆々涙でお線香をあげていると、三味線とともに彼女の唄が聞こえてくる。

「ほんに昔の、昔のことよ…」ああ、これは地唄の『雪』じゃないか!
「花も雪も、払えば清き袂かな」で始まるこの唄は実にしっとりと味わい深い。
たまたまその舞を題材にした芝木好子さんの『雪舞い』を読んだばかりだったせいもあり、
芸妓の純情に涙がこらえきれない。可哀想で可哀想で。
この噺のオチは、当時客と芸妓があそぶ時の時間をはかる
タイムストップの役割をしていた線香にからんでいるのだが、
そういうことを離れてただただ泣いてしまった。

この日は私の母が逝ってしまってから正しく一ヶ月目。
位牌、線香、死を嘆く人々の情景には今まったくお手上げなのです。涙ぼろぼろ。
それにしても吉弥さん、芝居がかったお噺、上手いなあ。
最初の部分の番頭さんの威厳あふれる煙管使いなど、見応えありました。
東京での新たな拠点となった浅草見番は、お座敷の風情が良くて好き。
回りのガラスケースのなかに三味線が並んでるのも臨場感がある。

巣鴨での落語会は、主催者が私の友人なので、初回からわりに通っている。
少ない人数で、びっくりするほどの至近距離で人気者の志の輔さんを見られるのだから、
最初からこんな贅沢を知ってしまったぶん、大きいホールに行く気がなくなってしまった。
師匠はいつもマクラの時事ネタが面白くって、
時によるとそれだけでまるまる一席分語ってしまったりする。
まるでそれ自体が新作落語のようで、こたえられない。

そういういつもの雰囲気からすると、今回の演目はずいぶんスタンダードだった。
志の春さん『たらちね』、志の八さん『出来心』、志の輔さんが『猿後家』と『茶の湯』。
『タイガー&ドラゴン』で落語ファンになった初心者でも分かりやすいものばかり。
顔が猿に<きつめに>似てるので、回り中が「さる」という言葉を口にしないように
気をつけてひやひやしている、大家のおかみさんをめぐる『猿後家』の滑稽なこと!
『茶の湯』で、知ったかぶりをしてとんでもないものを飲み、
飲まされるご隠居と小僧さんと可哀想な店子たちのお噺の両方とも、
師匠の顔面芸ともいうべきリアクションの大きさ、表情のおかしさは筆舌に尽くしがたい。
抱腹絶倒。楽しかった。

ところで『茶の湯』で、青黄粉では泡がたたないというので、
小僧さんが買ってくる「むく」の皮って、現代の名称でいうと「むくろじ」です。
「椋の木」と「無患子(むくろじ)」って全然違うものですからね。
サポニン成分を含んでいて泡がたつので、昔はせっけんのように洗い物に使われていた。
お寺などによく大きな木が植わっていて、冬になるとばらばらと落ちる、
メロンの表皮のようにしわのある実の中の真っ黒なタネは、
根突きの羽の下についている黒い玉に使われる。
雰囲気があって好きな実だから、何回か植物画にも描いたことがある。

師匠はせっかく解説なさってたけど、
「むくろじ」とは言い換えて下さらなかったな。
今度教えてさしあげよう。

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