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2023年04月25日18:12

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村上春樹さんの新刊『街とその不確かな壁』を堪能

 もともとぼくは読むのが遅いのだが、今日読み終えるまでに十三日間もかかってしまった。六年ぶりの新刊を流し読みしたくなかったからいつも以上にペースが遅かったかもしれない。
 村上主義者にとっては実に読みごたえのある作品だと思う。ぼくも村上主義者の端くれなのでどっぷり堪能できた。
 読み進みながら、ほかの村上作品の空気感を感じとった。第一章での、十七歳の男の子が一つ年下の大好きな女の子に再び会いたいと想いを募らせる場面では『4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて』のにおいを感じ、二人が再会できるかどうかが、二つの異なった世界が交互に語られる構成に『1Q84』のテイスト感じた。女の子に会うために遠くまで訪ねる場面には『ノルウェイの森』の雰囲気もあった。第二章での子易さんの得体の知れなさは『騎士団長殺し』の免色さんを彷彿させ、子易さんの半生が三人称で描かれているくだりには『トニー滝谷』のリズムを感じた。
 ただこの作品は、村上作品を初めて読むには方には向いていないと思う。「村上主義者にとっては」と断ったのはそういう意味だ。だってこの作品は村上さんがデビューまもない一九八〇年に雑誌に掲載した作品を元にしているのだから。
 雑誌に発表したものの『街と、その不確かな壁』は村上さんにとって不本意だったらしく、書籍化もせず、「あんなものは発表すべきではなかった」と後悔している。ただ村上主義者は、その不本意だった作品は『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』に昇華されたことを知っている。だからその件は終わったものだと思っていたのだ。しかし村上さんはそうは思っていなかったようで、今回の作品によってやっと決着がついたとインタビューで語っている。
 とすると、『街と、その不確かな壁』が掲載された小説雑誌を図書館で借りて読み、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』という大長編を読むという段階を経てないと、今回の作品を深く理解することなんてできないのではないかとぼくは思うのだ。この作品がはじめて触れる村上作品というのでは、あまりの突拍子のない設定にとまどうだけではないだろうか。そういう人の感想を聞いてみたいほどだ。
 ただまあ、そういうことはともかく、忘れてはならないのは文章のリズムと瑞々しさだ。七十歳を越えているとは思えないほど、文章に流れるようなリズムと切れがある。それは本編だけでなく「あとがき」でも生きていた。これを七十歳を過ぎても保っている例をぼくはほかに知らない。そしてそのリズムと切れこそが、村上さんが世界で読まれている理由だとぼくは勝手に思っている。そして、それを可能にしたのは体力維持を怠らなかったことだと思う。村上さんはあるとき、いつまで長編を書けるかということについて、フルマラソンを走れているうちは大丈夫かな、と冗談ぽく語っていた。
 ではぼくら村上主義者は、村上さんが少しでも長くフルマラソンを走れるよう、祈ろうではないか。
(写真は本の発売日の朝、丸善丸の内の一階に設営された売り場)
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