神道の考え方の中に「大切なものは目に見えないもの」というようなものがあります。目に見えないものに大切なものが宿り世界を動かしていることに日本人は昔々から気づいていたのだろうと思います。大切なものほど目に見えないというのは真理だとここで何度も書いてきました。そしてそういうものに対して感謝して自分自身の中に生まれる勝手な考えや驕りのようなものを捨て去る努力が人には必要だと私は思い続けています。
日々乗る車にも感謝を、パソコンにも感謝を、空気にも風にも感謝を、それらの目に見えるものに目に見えないものにもすべてに生かされて私たちは生きています。
感謝を忘れて驕り高ぶると必ずそれを悟らせようと「気づき」が与えられます。それにも気づかないと段々とそういう大切なものに見放されて行くのかもしれません。
神道は押し付けがましくは決してないけれど必要な教えを含んでいるように思います。
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