鑑真和尚と言えば中国の高僧であり、請われて日本への渡航を繰り返し三度目にやっと上陸を果たした徳の高い方であり、唐招提寺の主でもあられた方です。
この方は時の帝や厩戸皇子などとの交流があったとも言われていますが、帝からは「白壁」と呼ばれていたらしいです。あくまで私の氣視の中でのことですので確証もありませんし、推測に過ぎません。
でも何故「白壁」などと呼ばれていたのでしょうか?月の光に照らされて人の影が白い壁に映った時にその本質が影の形にしっかりと浮き出るからでしょうか?中国で有名な赤壁の戦いと比してのことなのでしょうか?それとも鑑真和尚の故郷には石灰岩の白い岸壁でも多くあったのでしょうか?
目が見えなくなられた和尚のそのお姿に白壁を思われたからなのでしょうか。今となっては私の妄想の中の類推に過ぎないです。
それでも氣視の中でこういう偉人の隠れていたエピソードのようなものが視えたりすると何だかとても楽しくなり、その過去の偉人の人となりがちょっと身近に感じられたりして嬉しくなります。あくまで私の妄想の中のお遊びになってしまいますが・・・。
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